Stars in Edo Era in Japan

江戸の百科事典"和漢三才図会"の星

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★「和漢三才図絵」とは、1712年頃(江戸中期)に出版された、 全33巻からなる百科事典です。項目別に違う編集者によって 記されており、天文分野では当時の江戸の最新(最高かどうかは、 やや疑問が..)と思われる科学知識を わかりやすく簡潔に記してあります。
 その中から、江戸時代の人の星についての知識などを 紹介してみたいと思います。 死後70年の著作権保護期間はめでたくきれているので、星図部分など 図版をアップロードしていきたいと思います。
Special Thanks To: KOBEYA for kabegami.

天動説が採用されている

 マゼランの世界一周から200年、さすがに日本でももう 地球は丸いという前提で話が進んでいる。しかし、太陽も惑星も、 地球の回りをまわっている太陽系図が描かれている。
 また、各惑星の軌道半径は同じ長さづつ増加している。

正確な日食と月食説明図

 現在天文辞典にのっているのとほぼ同じ説明図がのっている。月食も日食も 本円錐と半影部分がきちんと描かれている(比率が多少おかしいが)。このことは平安時代 から陰陽師と宿曜道をやる僧などは知っていたので、当然といわれれば 当然かもしれない。

正確な月の満ち欠け説明図

 今大学生と社会人にアンケートをとると、8割が「月の満ち欠けは 月にあたる太陽光が、地球の影で一部かくれるため」と答えるという 話をきいた。これは月食の原理で、彼らの解説では「毎日月食」となる。 月が満ち欠けするのは、太陽が月に対して右にいたり左にいたり、真正面に いたりすることからおこるのだ。
 和漢三才図絵の月の満ち欠け説明図は正確で、今の一般人の認識を 凌駕している(^^;)。

星の大きさの珍説明

 上等星は地球の68倍、次等は28倍、3等は11倍、4等は4倍半、 5等は地球と同じ、6等は地球の1/3の大きさとある。6等以下は 見えないとあるので、明るさイコール星の大きさとしているらしい。 6等まで見えるとされていることから、ここの部分だけ西洋天文学がはいって いるようだ。でもなんで68倍とか4倍半とかいう数字がでてきたのだろう?

惑星の拡大図は..

 鎮星(土星)、蛍惑(火星、これだけ和名ワザワイボシとある)、 太白(金星)、辰星(水星)は、ただの白丸。でも歳星(木星)だけは 左右に1つづつ衛星が描かれている。
 つまり、土星は輪がなく、木星は衛星がある星という認識だ。

江戸の星座はオール中国版

  中国式の描きかたの北極周辺の星図と、28宿の1つ1つの星図が入って いる。実に丁寧な編集である。西洋の影響はまったく感じられない 星座のえがきかたで、同定はとてもむずかしい....
 天の川も別項目で線画で描かれています。

七夕の星の謎

  織女という星座はベガの両側の「落ちるわし」の2星をいれた 3星、河鼓という星座は3つ星(わし座アルタイル周辺)という説明があり、 中国星図と同じである。河鼓は日本名がひこ星とある。 まちがいなくアルタイル周辺3星だ。牽牛とは言わないのだ。
 なにしろ牽牛という星座はアルタイルと別にある。 黄道28宿の1つ「牛宿」の説明に、 これは牽牛宿という、とのっている。河鼓の説明が「牽牛の 北にある」なのである。
 牽牛と日本でいうひこ星(河鼓)は少なくとも星図では別ものなのだ。 やはり名古屋の服部完治氏らのおっしゃるように 昔は七夕の星は「河鼓と織女」だった。

 さて、謎なのが暦の項目の「七夕」。「河鼓と織女2星を祭る祭」と 解説されているにもかかわらず、いっしょに「七夕とは織女が天の川を わたって牽牛に会いにいく祭なのだ」と書かれているのだ。河鼓に 会いに行くわけではない。河鼓の名は伝説の記述には全然でてきていない。 いつのまにか、河鼓と牽牛の星が星図上でいれかわって誤解されて きたのだろうか?話はあまり単純ではない。詳しくは大崎正次「中国の 星座の歴史」雄山閣の「織女と牽牛をめぐる疑問と解明」等をごらん 下さい。

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