Japanese Old Star Festival, Tanabata page
七夕の民俗と星
[天文民俗学ページ] [日本の星の民俗]

■七夕の概要 ■古典の中の七夕
■七夕関係HPリンク集 ■各地の七夕祭リンク集
■西王母のリンク集

●中国七夕伝説の起源 ●中国星座の織女,牽牛の起源
●アジアの七夕伝説 ●朝鮮の七夕伝説
●ヨーロッパの羽衣伝説 ●犬飼七夕(南方の七夕伝説)
●水中の織り姫 ●七夕人形
●笹飾り ●民間の七夕の実際
●ネブタ流し ●七夕相撲
●鹿児島の七夕伝説 ●たなばたさま
●七夕そうめん ●筑後地方の七夕
●交野市の天野川と機物神社 ●天野川と七夕石、彦星塚
●八王子市の機守神社 ●多奈波太神社
●七夕神社と牽牛社 ●棚機津女を祭る神社
●七夕岩 ●岐阜県郡上郡の七日祭
●福岡県大島の七夕 ●三富の七夕:雨乞い
●その他の各地の七夕祭り ●枚方市の天の川
●彦星の宮、織女の宮 ●七星剣に描かれる織女星、牽牛星
●七夕神社と牽牛社 ●山崎聖天(観音寺)の七夕

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七夕の概要

 七夕は旧暦7月7日の行事。五節句の1つ。奈良時代からまつられてきたが、 起源は以下の2つがあり、日本の七夕祭はその2つが 合体したものである。地方によってその祭り方はさまざまである。

1。中国の宮廷行事・乞巧奠(きっこうでん)が伝来したもの。

天帝の娘織女(こと座のヴェガ)と牽牛(わし座のアルタイル)の星の恋物語にち なんだ星祭。星をながめ、祭壇に針などをささげて工芸の上達を願う。この祭を中国 の宮廷では乞巧奠という。
日本の大和朝廷も乞巧奠にそって七夕を祭った。 民間に広まったのは室町時代以降と言われる。
 七夕の物語は,中国の伝説。
類話が、東南アジア〜朝鮮半島・中国・西日本の 広範囲に見られる。天にのぼった恋人たちが,最後に大河によってひきさかれ、 1年に1日しか会えなくなる結末はだいたい同じである。その1日が7月7日である。

2。農村のみそぎ、棚機女の行事、収穫祭/う蘭盆(旧7月15日)の準備

 日本の七夕祭りは大陸伝来の星祭だけではなく、古い民間信仰と結びついている。 折口信夫によると,乞巧奠伝来以前から,日本には棚機女(たなばたつめ)という 巫女が、水辺で神の降臨を待つという農村の「禊ぎ(みそぎ)」の行事があったと いうものだ。両者が合体したのが日本七夕で、タナバタの読みは棚機からきている という。
 また,民俗学の諸調査によると,田舎の町村の七夕祭は,すぐ後の大型年中行事・ う蘭盆(お盆のこと 。旧7月15日前後)の準備という色彩が強い。そのためのみそぎ だという説もある。
  さらに、静岡などでは畑にたなばた様が降臨するという考え方がある。 里芋の葉の水を集めて墨をする地方も あり、収穫祭という意味合いがある地方もあるようである。

  なお笹に短冊等を豪華につるす笹飾りは,江戸時代から始まった ようで、中国や東南アジアの七夕には見られない。(中国では五色の糸を つるすそうである)笹をたてる儀式は 東南アジアの8/15のお月見でさかんにみられる。

  柳田国男「年中行事覚書」によると,都会以外の地域では, 江戸以前の七夕は, 住民の9割程度が牽牛織女の伝説を知らずに行なっていたという。


中国七夕伝説の起源

 織女星,牽牛星が文献に初登場するのは,春秋時代の「詩経」の四国風の中の 一節である。しかし,そこには星として明星などといっしょにでていて, 2星は文中で離れて記述されている。七夕の伝説は記されていない。

 一般に七夕伝説の初出とされているのが,漢代編纂された「文選」の中の 「古詩十九編」である。
これには今に伝わる牽牛織女のロマンスの詩がある。
七夕伝説は遅くともB.C.1世紀にはできていたようだ。
         (大崎正次「中国の星座の歴史」雄山閣)

中国星座中の織女,牽牛の起源

 中国の星座では,織女は織女だが,牽牛は河鼓という星座で別名が牽牛である。
 さて,中国の黄道28宿の牛宿も,牽牛と呼ばれることがある。牛宿は 河鼓(アルタイル)のとなりで,やぎ座のα星付近である。牛宿のすぐ は女宿という。女宿と織女星は非常に離れている。この織女・牽牛と女宿・ 牛宿の関係は?という点はよくはわかっていないが,有力説を紹介する。

 家井真氏は,織女と牽牛の起源を次のように推測している。
・古代の農耕儀礼の1つに,国王が天帝に雨を祈るものがあり,王妃は祭服を  川辺で織ることになっていた(川とは天の川)。これから織女星ができた。

・殷の時代から人々は鉄のすきを牛にひかせて畠を耕した。牛は農耕上重要な  生物で,この重要な牽牛が黄道28宿の1つとなり,それが牛宿だという。

 これに続くのが大崎正次氏の説である。
・古代よりあったのは織女星のみ。ある時期,七夕伝説が世間に広まり,織女星が  七夕の織姫と同一視された。伝説の内容から,織姫の星から天の川をへだてた  対岸に,あいての牽牛星があるべきであった。それで天の川の対岸にある  河鼓という星座が,牽牛星ということにされた。
というもの。
 (異説もある)
         (大崎正次「中国の星座の歴史」雄山閣)



アジアの七夕伝説

 アジア一帯の七夕伝説は、天女の羽衣と七夕を合体させたようなものだ。 中国、朝鮮、マレーシアなどの東南アジア、各地でみられ、日本の各地の七夕 もこれらが様々なルートで伝わった可能性もある。
 タイの舞劇ノーラ、孔雀の舞等は、羽衣伝説をテーマとしている。ベトナム、 フィリピンにも羽衣伝説があり、そういった山地の羽衣伝説は、天から降りて来る 天女は星なのだ。やはり人間の男に羽衣を隠され、天に帰れず妻になり、結局 見つかって天女は天にかえる。しかし男も後天にのぼり、最後は7月7日の 夜だけ会えるようになる...というもの。(七夕型)

 また中国では、天女は7星の1星が地上におりた、という種類のものがあり、 その天女の子が部族の祖先となる、というものもある。(7星型)

 「地上に降りた星」が羽衣をかくされる話は、文化人類学・民俗学の分野で星型 羽衣伝説と名づけられており、上記の七夕型と7星型の2種が知られている。
 中国大陸で日本の研究者が採集した数では七夕型、7星型は半々とか。7星は、 北斗か昂か意見の分かれるところである。
       (君島久子編「日本民間伝承の源流」小学館他より)

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以下3点は参考です.

★モルッカの羽衣伝説
 海上貿易でさかえたインドネシア、モルッカ王国の神話。水浴のためインドネシア のテルナテに天降った7名の天女のうち、1名がテルナテの王子にとらえられ、 王妃となった。天女と王子の間の子供たちが,テルナテ、ティドーレ、バチャンの 三王国の王となった。
        「インドネシアの神話」より
★モルッカの「かぐやひめ」
 モルッカ諸島のビガラ王がバチャン付近で竹が血を流しているのを発見した。 切ってみると、4匹の蛇が入っていた。すると声がきこえ、この4匹の蛇は将来王族 になるという。この4匹の蛇(竜)の卵から,それぞれバチャン島の王族、 ブトン島の王族、パプア諸王の祖先、ロロダ王妃となる女王が産まれたという。

 年月がたち、ブムゴンゴンという村の村長アマリエと妻イナリエは子供がなかった。 2人はあるとき川で卵を拾った。その卵からモコドルドゥトという男の子が産まれ、 地域の支配者として認められた。(竜の卵の子=王族とみなす)。
この子はまもなく 病気になったが、ドゥドゥク鳥が飛んできて子供を暖め、夫婦は夢のおつげで 7本の竹にサゴヤシのサゴをいれ、食べさせると子供はよくなっていった。
治療が 始まって14日目、7本の竹のうち1本が大きな音をたてて割れ、中から美しい娘が 出てきた。
夫婦は娘をバウニアと名付けて育て、モコドルドゥトと結婚させた。
これがボラーン王家の始まりである。

 異聞のよると、モコドルドゥトの祖父は天から降りてきた人物で、モコドルドゥト は祖父の娘と、天の神の1人との間に産まれた卵から誕生したとされる。彼の妻は 同じく竹から誕生した。
        「インドネシアの神話」より
★東南アジアのイナバの白兎
 ウサギは大きな川(メコン川あたりか)の反対側に渡りたかったが、泳げない ので渡れなかった。それで、ワニ(マレーガビアルあたりか)に、対岸に渡して くれたら、**をあげる、といって渡してもらった。対岸に渡ったウサギは そのまま逃げた。...といった類話が数種存在。
            (「日本神話の起源」他)
◆何が参考なの?といいますと、竹取物語や古事記の物語とよく似た話が
南方の島々に伝わっている、ということなのです。
古事記の説話のいくつかが、南方起源であるとする説が特に反論もなく
定説になっているのはこんな理由があります。天若彦物語(おとぎ草紙)等
七夕物語も南方系類話山のごとしなのです。
北方にはあまり七夕の類話はありません。


朝鮮の七夕伝説

 朝鮮半島では、かささぎ伝説が挿入されているのが、他のアジア七夕と違う点だ。
 朝鮮の七夕伝説は、逢瀬の日に天の川が2人をわかち、2人の涙で地上は 大雨になったので国王が、国中のかささぎを集め、天に橋を作るように命じた。 以来7月7日は普段国中に沢山いるかささぎが1羽も見あたらないという。 採集者申来玄氏によると、本当に7月7日にはかささぎが見られないというが.

  なお、ベトナムの七夕ではかささぎがからすになっているらしい。
            (申来玄「朝鮮の神話と伝説」1981)

ヨーロッパの羽衣伝説

 羽衣伝説はヨーロッパにもある。  次にイギリス海岸地方の妖精伝説を紹介する。アザラシが皮をぬいで美女になり、 漁師がアザラシの皮をかくしてしまって、美女は海の中の国にかえれず、漁師の妻 となる.しかし結局皮が見つかり、美女はアザラシになって海に帰ってしまう。
ヨーロッパの羽衣伝説は星はまったく登場しない。
(君島久子編「日本民間伝承の源流」小学館他より)




犬飼七夕(南方の七夕伝説)

 九州以南の一帯に伝わる七夕の話は、「御伽草子」の「天雅彦」と(男女逆転 しているが)よく似ている。
 天女が水浴に降りてきて、その羽衣を漁師が隠してしまい、天女は天に帰れず漁師 の妻となる。数年たち天女はある日、隠してあった羽衣を見つけて天に昇ってしまう 漁師が妻を慕って悲しんでいると、天女は天への登り方を教えてくれる。この登り方 は地方により違うが、だいたい瓜の芽が出て翌日には天にとどくほどにのびている。 それを漁師はのぼっていき、天女と再会し天で暮らすが、あるとき天の戒めを破る。 すると割れた瓜から水が流れでて、天の川となり、2人は離ればなれになる.. という筋だ。
 柳田氏はこれを「犬飼七夕」と呼んでいるが、彦星を犬飼い星と呼ぶこと、 ときどき主人公に犬が助言することからだろう。

水中の織り姫

 七夕伝説は、朝鮮半島・東南アジアの国々に、 広く分布している。アジアの七夕伝説は、大水で 流されて2人が離ればなれになったり、水はよくないものとする傾向が強い。

 それに対し、日本の農村の七夕は、雨がふると汚れをはらう意味でよいとされる。
 柳田国男が採集した民話によると、澄んだ泉の底で機を織る乙女の物語、という ものが全国に散在する。また、浦島子伝説でも、乙姫が竜宮で機を織っていると いう話もある。この水中の織り姫は、日本独自の色合いが濃いと思われる。



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民間の七夕の実際

 柳田国男の記録が目をひく。「7月の七夕という日に2つの星が銀河を渡って 相会するなどという話は、書物を読んだ日とが知っているだけで、数からいうと 十分の一に足らぬ..<(柳田国男「年中行事覚書」講談社学術文庫)

 民衆、特に農民にとっての七夕とは何かというと、最も重要な旧暦7月15日の盆 の準備のため、水で汚れを洗い身を清めるといった要素が強かったという。明治前、 七夕に星を見たのは江戸や京など都会の風流人たちだったのである。
この日には 1日7度ご飯を食べて、7度水に入った。この7度の風習は、柳田氏によると 東日本一帯の農村に広く分布しているという。
 また、七夕の日はある作物の畑に入らないところも多い。そこの畑に「七夕様」 が降臨するからだ。夕様の正体は今はもうわからないという。織り姫や彦星では ないことは確かのようだ。
         (「静岡の昔話」他より)

たなばたさま

  多くの地方で、七夕祭りのことを「たなばたさま」という。笹飾りを たてて祝う普通の七夕であることが多いが、「たなばたさま」を おむかえする、という考えが元々あったものと思われる。
  七夕様は水辺の機織りの巫女ではなく、畑におりてくる、という 地方も多い。農村か、工芸の町か、漁村かで色々とたなばた様の タイプは異なるようだ。
    (地方の民話出版物他より)



笹飾り

  七夕の笹飾りは、杉並区立科学教育センターの茨木氏によると、 江戸時代に広まったらしい。
  笹飾りの1つ1つには縁起もののいわれがあるようである。
・短冊---赤、青、黄、白、浅黄の色紙を短冊のかたちにきって 七夕とか天の川とかかく。たくさんつるすとよいらしい。
・吹き流し---織り姫の織糸のことらしい。
  もともとは1本づつ笹につけていたそうだが、最近はくすだまに たくさん吹き流しをつけるものが多い。
・紙衣---おそらく陰陽道の人型からきたもの。2つおりの紙を着物 姿に切る。前後対称にするのが原則と思われる。願掛けに使う。
    (インターネットのwnn-c七夕ページ、他より)

ネブタ(ネプタ)流し

 東日本の各地の七夕では、笹飾りばかりではなく、男女の人形や蝋燭をのせた船 などを川に流し、その際に水浴びをするという風習があった。
それをネブタ流し、あるいはネムリ流しという。
  旧版「秋田の歴史散歩」などで、「ネブタ流しとは七夕の行事である」 という記述が見られる。
  黒石市でも昔はねぷた祭りは「二星祭」「七夕祭」といっていた という。黒石のねぷたというのは、睡魔のことで、ねぷた流しは 「眠気を流す」という意味があったという。
   (柳田国男「年中行事覚書」講談社学術文庫、黒石市HPより)

七夕人形

  七夕に河に流す織り姫彦星の人形のことと思われる(DANDANの想像。 本物は写真でしかみたことがないがそんな雰囲気であった)
  雛流しにみためがにているので、やくばらいに使ったのでは ないだろうか。松本市のベラミ人形店は押し絵の人形を作っている。 特に代表的なものが七夕人形だという。松本地方では七夕は旧暦にあわせ て8月6日に行われるようで、七夕人形は河にながさず、軒下につるし、風にあてて、 厄をはらってもらうのだそうだ。さらに野菜などをそなえる。
  ベラミ人形店の着物かけ式、紙雛式、人型式、流し雛式の4種が ある。300年の伝統がある民芸だという。
       (JRのグリーン車においていある雑誌L&G他より)

七夕そうめん

  七夕の日は昔は特別な食事をすることがあった。それは「七夕そうめん」 といって、五色のそうめんをたべたらしい。
     (インターネットの地方自治体HP,料理関係HPより)

七夕相撲

 鹿児島県では、十五夜そらよいという7月7日に相撲をとる行事がある。
「日本書記」に崇仁天皇の時代に7月7日に相撲をとらせた,と記録がある。 奈良時代から平安時代にかけて,7月7日に「相撲の節会」という、天皇が相撲を 観戦する行事があった。
(網野善彦他「瓜と龍蛇」福音館書店、他)



鹿児島の七夕伝説

 鹿児島県の昔話。男が山で羽衣を拾い、それを隠して天女を嫁にし、3名の子を もうける。ところが子どもの子守歌で羽衣を見つけた天女は天に帰る。男も妻を 追って綱で天にのぼったが、天女の父に難題をふきかけられる。天女のはからいで 次々解決するが、最後の1つは自力で解決しようとする。すると大水が出てしまい、 家も天女も流される。7月7日だけ、川の両岸で会えるようになった。
        (松谷みよ子他「どんな昔話がききたい?」等より)

筑後地方の七夕

  九州の筑後地方では、小学校に入学したての子どものいる家庭では、初七夕と いって七夕にすいかや饅頭を親戚にくばったりして祝う。
  また、初七夕ではないが、掛け軸に天の川という字をかいて床の間に 飾る風習もあるという。
       (インターネットの小郡市のHP他より)
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富山の七夕

  富山県入善町船見の七夕祭りは300年以上続いている。
町内の子供たちが七夕宿というのをきめて集まる。その宿の店先に 棚をつくって、野菜、すいか、こんぶなど三宝ををもって七夕様に そなえる。棚の前には子供たちが作った七夕人形がかざられる。
  夜には七夕提灯で家々の軒下がかざられ、夜がふけると 子供たちは七夕の竹を集めて、黒部河に流す。
     (インターネット、富山の七夕HP、他より)


交野市の天野川と機物神社

  大阪府交野市には、淀川の支流「天野川」が流れている。その流域には 奈良時代には韓国からきた渡来人により、機織りの技術が伝わった。
  七夕伝説を伝える機物神社もその関係でできたと思われる。交野市は昭和 30年に交野町と星田町が合併してできた。
    (インターネットの地方自治体サイト他より)

天野川と七夕石、彦星塚

 天野川は滋賀県柏原に源流を発し、びわ湖に流れ込んでいる。 河口に近い朝妻神社内には星河稚宮皇子の墓があり彦星塚と 呼ばれている。
  また、河をへだてた近江町の蛭子神社には朝妻皇女の墓が あり、七夕石、七夕塚などとよばれている。
    (インターネットの地方自治体HP他より)

八王子市の機守神社

  考謙天皇の時代の歌人白滝姫を祭る神社。白滝姫が機織りの技法を 上野地方に伝えたといわれる。八王子には1818年、桐生、足利の技術者が 機織りを伝えたという。大善寺境内にあり、漢織、呉織の2体の石像が 並んでいる。
    (インターネットの地方自治体サイト他より)

多奈波太神社

  タナバタ神社とよむ。愛知県にある神社。機織りの神様を祭っている。
    (インターネットの地方自治体HP他より)

棚機津女を祭る神社

  静岡県浜名郡の三ヶ日町にある初生衣神社の祭神は、「天棚機姫命」 というそうだ。日本古代の棚機つ女のことらしい。この神社では 伊勢神宮へおさめる神御衣を織っていた。祭りは4月13日で 7月7日には何も行事はないそうである。
  (この件裏とってません。ご存知の方は教えてくださいませ)
   (インターネット静岡県の文化HPより)

七夕神社と牽牛社

福岡県小郡市には七夕神社がある。そのそばを流れる宝満川のむこう岸には 牽牛社がある。牽牛社は鎌倉時代の創建という説があるらしいが 詳しい年代はどちらも不明のようだ。
  七夕には獅子舞をしたり、七夕神社の近所の家をまわりながらお水を まいたりするという。
      (インターネットの小郡市のHP他より)



七夕岩

  群馬県桐生市の伝説。都からきた白滝姫が、機織りを伝え、桐生市は織物の 町となった。姫が亡くなると、天から降ったという岩のそばにうめ、機織神として 祭った。すると岩からカランコロンという機をおる音がきこえて いたが、あるときゲタをはいて岩にのぼった者がおり、以降鳴らなくなった。
この岩は白滝神社の社の前の神体石であるという。
          (「新版日本ミステリーガイド」,学習研究社)

岐阜県郡上郡の七日祭

 13世紀、岐阜の領主に千葉氏一族の東氏が赴任してきた。千葉県の千葉氏は 妙見信仰でしられ、千葉氏一族が守護として赴任した地方では、妙見宮が勧請されて、 星の信仰が行なわれるようになる。(福島の相馬妙見など)   岐阜でも、星の信仰が始まったようで、同時に七日祭りが伝わった。これは 8/7に行うもので、なぜか真夏に獅子舞や餅つきをする。

福岡県大島の七夕

 7月1日から7日間祭が行なわれ、川の中に2つの棚をつくり、果物や5色の糸 がついた竿(5色の糸は陰陽5行の5色で、水金地火木を表わす魔除である)、 歌をかいた梶の葉などをささげた。そしてたらいに水をはり、星を写したという。
         (「福岡県の歴史散歩」東京堂出版他より)
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その他の各地の七夕祭り

 新潟−夜七夕

 東京−七夕馬をかざる

 神奈川県大磯−子供たちが大きな竹飾りをかついで町をねり歩き,最後に海に流す。

 神奈川県平塚と他の1町−里芋の葉にたまった水玉を集めて硯にいれ、それで 墨をすって、短冊に願い事をかく。

 東北〜中部の一部−七夕人形を紙などで作り,柴船にのせて流す。

 江戸時代の東京−たらいに水をくみ水にうつった牽牛織女をながめた。
この水に写した牽牛織女をながめるのは、願い事するときのおなじないの 一種らしい。恋愛成就のおまじないだ。(「エルフィン」学研より)
  (網野善彦他「瓜と龍蛇」福音館、地方自治体HP他より)



枚方市の天の川

 交野の星田妙見社は、高僧が修行中、星の森等の3箇所に星が降ったという伝承 がある。近くに、織女星を神格化したらしい天棚機比売大神を祭る機物神社や、 織女石、牽牛石もある。交野市と枚方市には天の川という川も流れている。
           (「うちゅう」大阪市科学館他より)

彦星の宮、織女の宮

  筑前の国(福岡)大島の星の宮神社に、川をはさんで北に彦星の宮、南に 織女の宮があった。天球上の位置と南北逆である。名古屋の服部氏によると、 中国の織女と牽牛の記述ではわざと逆にかいているものがあり、日本の北斗七星の 図も裏がえしの絵が多く、これもわざと逆につくったのではないかという。
結婚を 願う若者は男は北、女は南の宮に祈った。
         (「福岡県の歴史散歩」東京堂出版他より)

七星剣に描かれる織女星、牽牛星

  中国の古代の兎王(伝説上の人物に近い)は、剣の腹上に28宿、面に星辰、 背に山水日月を記したと言われる。北斗をきざんだ七星剣は現在でも中国:道教の 呪術用として知られている。
  七星剣の古いものには、北斗七星の他にベガとそのわきの2星、アルタイル とそのわきの2星と思われる絵が描かれている。

 呉竹鞘杖刀は、正倉院の宝物の1つ。すばる、織女と牽牛と思われるもの、北斗七星 が刻まれている。
 長野県佐久郡の農家に伝わる剣が,7,8世紀のもので、梵字や四天王像ととも に、三公,三台の2星座と,北斗七星が象眼されている7星剣であることが判明した ニュースが3年ほど前に報じられた。星は銀で,星をつなぐ線は金で象眼されて いる。形がちょうど天球を裏側からみたように,裏返しになっているそうだ。
 この3公、3台が、織女、牽牛ではないか。
             (朝日新聞社「朝日新聞衛星版」他より)


山崎聖天(観音寺)の七夕まつり

 京都の観音寺では、旧暦の七夕に七夕祭を行っているが、乞巧でん 飾りという珍しい飾りでおこなうとある。
      (インターネットの観光サイトより)

三富の七夕:雨乞い

  三富では七夕の織り姫、彦星は作神様である。おそなえに作物を 篭にいれてかざる。またマコモ(水辺にはえる草)で作ったマコモ馬 をそなえる。
  七夕の笹が天の川の水をすくって雨がふると言われるが、雨の 少ない三富地方では雨も祈られたのだろう。


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