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鵲の 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける 中納言家持
意味:霜という言葉から、冬に読んだ歌です.宮中の橋に霜がおりているのを みて,七夕の夜に鵲がつくる橋のようだ、と七夕伝承に思いをよせているうちに、 夜がふけていく....
中納言家持は万葉集最後の選者とされる大伴家持です.
小倉百人一首は、鎌倉時代始め、藤原定家が小倉にある屋敷で編纂したと言われます. 本来はもっとも古い万葉集から紹介するのが順番と思われますが、ははは,これは かるたとりでの私のとくい札なので...(^^;)
織女し 船乗りすらし 真澄鏡 きよき月夜に 雲起ちわたる 大伴宿禰家持
意味:七夕の夜、織姫が船でゆくのであろう.その透明な月夜に雲がわいている.
これも家持の歌.有名な歌です.それでまた私のような素人にも、その情景が浮かぶほど わかりやすく、美しい響きがあります.万葉集も最後の方、家持歌日記と 呼ばれる部分の1首.
天の川 楫の音聞こゆ 彦星と織女と今夜逢ふらしも 詠み人知らず
意味:天の川の船のかいの音が聞こえている.彦星と織姫が今宵会っているのだろうか.
万葉の七夕の歌は、伝承そのものを歌っているものもありますが、それに なぞらえて、なかなか会えない恋人たちの歌になっているものもあります.
これも、作者が,だれかが恋人にこっそり会いにいくことを知っており、それを 歌っているとも考えられますね.
万葉集には、この歌とよく似た、天の川を彦星が船で渡っている..という歌が百首近く 入っています.なお、七夕は万葉集は棚機という字があてられています.
織女の五百機立てて織る布の秋さり衣誰れか取り見む 読み人知らず
意味:織女が多くの機をたてて織った布でできた、秋用の衣を、いったい だれが見るのだろう.(それは彦星である)
飛鳥・奈良時代は、歌を読む人々に中国の七夕伝説がそのままの形で広まっている 様子がわかります.万葉集の七夕の歌は、その前の但し書きから、七夕の日 に読んだようです.宮廷行事の歌合わせがあるので、そこででしょうか.
この五百機という言葉は、江戸時代に歌集「五百機集」というので 使われています.この歌からとったのでしょうか?
七夕に かしつる糸のうちはへて 年の緒長く こひやわたらん 凡河内躬恒
意味:七夕におそなえした糸のように,何年も長く恋が続きますように.
古今以降は素人に解読はつらい(^^;).青山学院短大の出雲先生の 資料をおかりいたしました.
作者の名前はおおしこうちのみつね、と読みます. 10世紀始めに作られた最初の勅撰和歌集.古今集はなぜか、私としては心に響く歌があまりありません. 古今集以降は、七夕には七夕の文字があてられています.
天河 なかれてこふる 七夕の 涙なるらし 秋のしら露 詠み人知らず
意味:秋の朝,草花につく露は、七夕のあとで天の川を流れてくる恋人たちの涙であるのだろう.
後撰集は、13世紀前半に作られた史上2つ目の勅撰(天皇の命による)和歌集.藤原定家,紀貫之などの歌人の 歌がおさめられている.
朝戸あけて 眺めやすらむ 七夕の あかぬ別れの空をこひつつ 紀貫之
意味:朝、戸を開けて,七夕の別れの空を眺め、また恋しく思う.
拾遺和歌集は、11世紀はじめにできた3番目の勅撰和歌集.
編者ははっきりしていないが、花山法王説が有力という.拾遺、後拾遺にも 七夕の歌を7月7日に詠んでいるものが多いが、七夕の歌合わせが 行われていたためであろう.
七夕に 花そめ衣ぬきかせば 曉露の かへすなりけり 崇徳院
意味:七夕に花が飾られた衣をそなえたら、朝つゆがついてかえってきた.(?)
千載和歌集は12世紀末、後白河法王の命で藤原俊成が選出した和歌集.7番目の勅撰和歌集.
作者の崇徳院(崇徳上皇)は1156年の保元の乱の首謀者として讃岐に流され, そこで46歳の一生を終えました. 保元の乱は、後白河天皇と崇徳上皇の争いに藤原氏の争いが加わった乱です. 元は崇徳天皇が鳥羽上皇により、無理矢理位をおろされたところに発端があり,そのあと鳥羽上皇の弟の白河天皇が天皇になって崇徳上皇の子供はなれなかったので、 崇徳上皇は相当に頭にきたらしい. 讃岐にたずねていった西行法師と 論争になり、生き霊になって出たという話が保元物語にあります. この崇徳上皇の歌を後白河法王の勅撰集で見るのは不思議なものですね.