お正月の始まり

--なぜ1月1日に1年が始まるのか--

[天文民俗学のページ]

[お正月にまつわるお話」

 

●ヨーロッパの新年の始まり
●中国の新年の始まり
●日本の新年の始まり

 

ヨーロッパの新年の始まり

 ヨーロッパの暦は古代ローマ帝国の暦が元になっている。その古代ローマ暦は メソポタミア暦の影響を受けていると考えられる。というわけで、 ヨーロッパの暦の起源は古代メソポタミアである....と言われることが 多い。
 しかし調べてみると、ギリシャ暦は夏至から始まり、メソポタミア諸国伝統の 春分年初をとっていない。ローマの暦は春分年初なのだが、メソポタミアものが ギリシャをとびこしローマに直接伝わるとは考えにくいような気もする。 しかし一週間が7日という特殊な節はメソポタミア産であり、早期にヨーロッパに伝わっていた ので、やはり暦もメソポタミア起源なのかもしれない。
 惑星の名前や角度が1周360度など、皆メソポタミアから伝わったものというのは有名な話だ。

 紀元前18世紀ごろの
古代バビロニア王国では、1年は春分の日(3/21頃) 近くの新月の日で始まった。春分の日はおひつじ座のある星が太陽と同時にのぼる のを観測して調べたとされる。
 月は陰暦、1年はだいたい太陽暦の太陰太陽暦なので、うるう月をときどき 入れて1年が12ヶ月だったり13ヶ月だったりする。

 紀元前7世紀頃の
カルデア(新バビロニア)王国では、天文学がさかんで 19年7閏法という太陰太陽暦が使われた。19年間に7個のうるう月を入れると、 うまく月の満ち欠けと年始が19年ごとにほぼぴたりと合う。 新年はおなじく春分の日近くに新月の日である。

 古代ローマでは
紀元前8世紀ごろ、ロムルス暦が使われ始めたと言われる。 月の満ち欠けを基準とした太陰暦で1年が約304日、冬の間2ヶ月は日付がないへんな暦であった。新年は春の適当な新月の日となっているアバウトな暦であった。

 冬の2ヶ月も
ヤヌアリウス、フェブラリウスとして暦の最後にいれたユマ歴が紀元前710年にできた。ただし月の満ち欠け12回で1年としたので1年=355日だった。 ユマ歴でも年初は春分の日近くの新月の日だった。

 しかし、1年355日では実際の1年とずれるので、しばらくしてうるう月が ときどき入れられるようになった。 ローマでは年末(フェブラリウスの月)の23日に1年のしめくくりの 祭り「テルミナリア」を行う。閏月は2月23日の直後に1ヶ月入れられた。  このとき
1年の始めがローマ政府により1月 (ヤヌアリウスの月)に変更された。ヤヌアリウムスの月の神ヤヌスはえらいので、 ヤヌアリウスの始まりを1年とする、としたらしい。

 
紀元前46年、有名なシーザーによるユリウス歴が制定された。 。4年に1日うるう日をいれることにより1年は365.25日となり、年初は1月と改めて指定された(このころもまだ、 古い習慣で3月も正月のように祝っていた)。これはもう月の満ち欠け に関係なく、1年を12ヶ月と定めていた。

 さて、この時点では、旧新年の始まりは春分の日=今の3月21日頃であった。
ユリウス暦の新年はその2ヶ月前=今の1月21日前後になりそうである。
 これがいかにして今の1月1日までずれこんだのか?

 古代のローマでは、太陽の高度が最も低くなる冬至を太陽の復活として
冬至祭を行い、盛大に祝っていた。農耕民族の祭りといえる。
 さらに、ユリウス暦制定のころ、ローマでは
ミトラ教が最大派閥で あった。ミトラ教では、主神の太陽の神ミトラが冬至に死んで、 その3日後に復活(3日後ではなく冬至の当日に復活するという文献もある)することになっていた。 そのミトラ復活の日12月25日は、冬至祭と重なり、 ローマあげての祭りであった。  その後起源1〜4世紀の間にキリスト教がミトラ教にとってかわるが、 そのときミトラ教の祭日12/25も、キリスト教の祭日=キリスト生誕の日 として受け継がれた正式には325年のニケア公会議で12/25が クリスマスと採用された。実際のキリスト生誕の日がよくわからないせいも あった。これがクリスマスの起源である。
 詳しい話は、
クリスマスの由来というページをごらんください。

 
キリストは生誕(12/25)から8日目にユダヤ教の割礼を受ける。 西暦(AD)では、この キリスト割礼の日を1月1日に採用したのである。

 この1月1日の決め方は、東ローマ帝国の修道院長デュオニシオスの525年の著書に、初めて登場する。デュオニシオスは数学と天文学に詳しく、東ローマ帝国では そのような彼の提案する暦(=西暦)を採用することにしたようだ。

 このおふれが出たとき(
西暦532年か?)以来、ヨーロッパの公式暦は1月1日から始まるのである。この現在の 年初を「割礼年初」という。

 ただし、この
割礼年初(今の1月1日)がヨーロッパ全土に広まるには 数世紀を要したとされている。どうやら10世紀ごろにやっとヨーロッパの 年初は統一されたらしい。
 じゃそれまではどうなっていたかというと、ローマ紀元とよばれる ディオクレティアヌス紀元や、キリスト受難の年をから数えた紀元、また 年初も春分年初だったり、色々な西暦が使用されていたのだ。 ちなみに、ディオクレティアヌス年248年=西暦532年である。

トップへ

中国の新年の始まり

 では中国では1年の始まりはどうだったのであろう。
 夏王朝(存在自体が怪しい)では立春頃が正月、いん(商)王朝では 冬至を含む月の翌月が年初で、周では冬至のある月が年初であったとする 伝説がある。
 周以降、
古代〜前漢の時代まで冬至(12/22頃)のある月が正月であった。 やはり農耕民族なので、冬至は太陽が復活する大事な日なのだ。
 暦は太陰太陽暦で、うるう月を入れて太陽暦と月の満ち欠けをあわせていた。 紀元前5世紀頃には19年7閏法が確立された。

 時がすぎて
後漢の時代、24節気の立春(2/4ごろ)の月が正月となった。
冬至や春分、夏至、立冬など の太陽の星座上の位置から定めるの日を24節気というが、その中の1つ 太陽の黄経が315度になる日が立春である。24節気は、月の満ち欠けには何ら関係 しない、正確に季節をあらわす指標として前漢の頃に中国で作られた。
 どうやら
気温が最も低くなる立春頃こそ、太陽の復活と考えたらしい。

 西暦1世紀、1年=265.25日とする太陰太陽暦の四分暦が採用 された。あくまで太陰太陽暦で、月は月の満ち欠けどおりに入れたので 1年が12ヶ月と13ヶ月の年があった。
 後漢からはじまった
立春正月と太陰太陽暦は、以降20世紀まで 中国の各王朝で受け継がれた
 ただ中国は、王様=暦をつくる人、といったしきたりがあり、王様が代わるたびに暦が新しくなった。中国では元旦に日食があるかないかなどの天文現象が 政治に大きな影響を与えていたので、それがうまく予報できるよう、何度も 微修正が行われたのであろう。しかし数年ごとの改暦は民衆には不評で あったようで、元の時代にようやく新王による改暦はやめになった。

トップへ

日本の新年の始まり

 いよいよ、日本の新年はなぜ1月1日なのだろうか?
 日本の項目は実はあっという間に終わってしまう。今は西暦が採用されて ヨーロッパの新年が使われている。昔はというと、初めて暦が 作られたのが推古天皇の604年、百済を通じて伝わった中国の元嘉暦 が採用されたのが始まり。それ以降
江戸時代まで、中国の暦を だいたいそのまま使っていたので、中国と同じ太陰太陽暦で立春年初なのである。
 つまり日本ではずうっと、
立春を含む月、あるいは立春の近くの新月の日が年初だったのである。

◆日本で使われていた暦
・弥生時代〜604年以前--不明だが、日本書紀の記録が歴史的事実になって くる5世紀以降は元嘉暦と考えられる。日本書紀の暦日も元嘉暦で計算したと 考えるとよく事実とあう。
・604〜679年--元嘉暦
・679頃〜763年--儀鳳暦
・764〜862年--大汀暦
・862〜1684年--宣明暦
・1685〜1842年--貞享暦
・1843〜1867年--天保暦
・1872年〜グレゴリオ暦


Special Thanks To: アクセサリーアイテム for Kabegami.
[TOP]