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日本の星の信仰-陰陽道と宿曜道

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●陰陽道と宿曜道
●陰陽道の星祭り・信仰
●密教の星祭・信仰
●昔の皇族・貴族は陰陽道好き
●安倍晴明
●陰陽道の資料不足
●宿曜道のルーツ
●生活に残る陰陽道のなごり
●日本の星の信仰の歴史
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奈良・平安時代の星辰信仰について

 日本は、星の神話や伝説が少ない国と言われていますが、 天体自体に興味がなかったわけではなさそうです。 政治をつかさどる人々が、星祭と星占いに明け暮れていた 時期もあるのです。

 その時代は平安時代。 大陸では、自然科学・哲学であった陰陽五行思想は、日本 では”星の宗教”陰陽道となり、道教と合体して占い・呪術 として独自の発展をとげました。 奈良時代までは、ここぞという時の秘伝であった陰陽道が、 平安時代には、日常のあらゆることの吉凶を占うのに使われる ようになったようです。

 さらに9世紀、空海・最澄が密教を伝え、密教の占星術で ある宿曜道も時の占星術ブームにのって盛んになりました。 宿曜道は、インド原産でヨーロッパ色の強い新しい占星術で、 たびたび陰陽道と対立し、お互いの要素を吸収しあいながら 最後には民衆にも広まっていきました。

陰陽道と宿曜道。 日本の星の信仰を代表する、2つの文化の流れを追ってみる ことにしましょう。

 



陰陽道


  陰陽道は、中国の自然哲学・陰陽五行思想がもとになり、中国の道教の呪術が加わって、日本独自に発展した占星術、呪術、暦学のことである。


中国の陰陽五行思想は、紀元前5世紀には誕生し、西暦0年ごろには、ほぼ体系的に完成したようである。日本には6世紀に伝来した。

  飛鳥時代にすでに政府の陰陽寮という機関が作られ、政府の陰陽師たちが、暦を作り、天象から政変を予測し、行事を行なう吉日・吉方などを決めていた。
  陰陽道は平安時代に貴族の間で大流行するが、その後公の場ではすたれ、民間や影の場で行なわれるようになる。

  具体的に日本の陰陽道は?というと、星をみて占いをする+呪術である。

  陰陽道と天文学の関係であるが、陰陽師が昔は天文学者(と言えるかどうか?)をかねていたので、深いと言わなければならない。

昔の日本の自然科学(江戸時代まで、日本には生活の役にたつもの以外の自然科学はないに等しかったが)はおとなりの中国の影響が強いが、中国の天文学は、ほとんど暦作りに終始している。なので日本の昔の天文学(陰陽寮の仕事)も、暦作りと天体観測が主である。

  律令によると、陰陽寮の組織は次のようなものである。

 
    1陰陽の頭(行政)いちばんえらい人。

    2天文博士(天変)テキストは「史記・天官書」「漢書・天文志」など、観測記録。

    3暦博士(科学)テキストは「漢書・律暦志」「晋書・律暦志」など、編暦書。

    4漏刻博士(水時計)

    5陰陽博士(占い)テキストは「易経」「新撰陰陽書」など、占いの本。

 

  当時の政務上、日蝕があるかないかが重要事項だったので、この暦作りには太陽と月の詳しい位置計算が 含まれている。陰陽道がさかんであった8−11世紀の日蝕的中率は50%ほどであったそうだ(斎藤国治「古天文学の道」より)。望遠鏡もなくコンピュータもない時代にしては見事なものではないだろうか。

  惑星の会合なども重要であったようだが、これは「事前に予想された」という記述はあまりみたことが ない。
どれもだいたい「会合があったのをみて、**が***になるだろう、と天文博士が予言した」という事後報告っぽいものが多い。複雑な惑星の軌道の計算はうまくはできなかったようである。

  中国オリジナルの陰陽五行思想は、宗教ではなく哲学である。(日本の陰陽道は非常に宗教っぽいが)それも人間の精神はあまり関係せず、自然を記号的に表わす自然哲学で、応用範囲は非常に広い。
  既に日本にくる前に、陰陽五行思想は、陰陽説と五行説、八卦が合体し、それに暦と時(日や年の十干十二支表現)、医学(内臓の五行分類、漢方等)、天体(惑星の五行分類他)、風水(方位、鬼門など)、儒教などの要素を吸収して博物学的テリトリーを所有している。日本でさらに、中国の道教の呪術が強力な要素として加わっている。
  自然界のものなら、たいていのものは受容できるので、陰陽師は神道系、仏教の僧、一般人と3種類いて、特に矛盾が生じないという不思議なものだ。
  陰陽五行思想の内容は簡単、対象を木火土金水に分類して占うのである。実際には十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯辰巳午未甲酉戌亥)に変換されて用いられることが多いようだ。

五行配当

五行

<木>

<火>

<土>

<金>

<水>

季節

 夏

 土用

 冬

方位

 南

 中央

西

 北

 赤

 黄

 白

 黒

天体

歳星

螢惑

鎮星

太白

辰星

蒼龍

朱雀

黄龍?

白虎

玄武

 礼

 信

 義

 智

 

 

 

 

 

 

酸っぱい

苦い

甘い

辛い

しょっぱい


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宿曜道


  800年ごろ真言宗を開いた空海は、唐から宿曜道の詳しい教典をもちこんだ。このときから、暦学は陰陽道の独壇場ではなくなり、密教の占星術・宿曜道も参入してきた。

宿曜道は陰陽道が使っている唐の宣明暦を批判し、ヨーロッパ風の出典不明の暦「符天暦」を使って、日蝕予報で正確さをきそった。斎藤国治「古天文学の道」にその 様子が面白く紹介されている。

(符天暦について:宿曜道の暦は、当時イスラム、インドの天文学者の教科書的存在であった、プトレマイオスの「メガレシンタクシス(アルマゲスト)」および星占い書「テトラビブロス」が元になっている。「符天暦」は天体軌道論の原点ともいえるアルマゲストが多くの民族の手をへて日本に伝わった姿ではないのだろうか。)

  宿曜道というのは、名前は似ているが、陰陽道とは起源も原理も全然違う。

宿曜道はインド原産の
27宿占星術が基本となっており、基本の教典「宿曜経」(本当は長い名前)もインドの教典がもとになっている。インドのホロスコープ占星術は、西洋から伝わったものであるので、宿曜道も西洋風のホロスコープ占星術を行なう。
宿曜道の重要文献の1つにプトレマイオスの占星術書(テトラビブロス)の漢訳本があることから雰囲気がうかがえるであろう。

(テトラビブロスについて:アルマゲストとともに世界に広まったプトレマイオスの著作。何しろ占いの本なので天文学史からはぬけおちているが、7-12世紀ごろのイスラム、インドの天文学者らに大うけしていた本である)

  平安後期になると、貴族に星祭りが流行し、密教の方でも道教の神を仏教風にした菩薩が生まれ、北斗七星や北極星などを祭った星曼陀羅が作られ、密教の星祭りが行なわれた。

  平安の密教系星祭は天台宗のものが多いが、よく体系化された空海の真言宗に比べ、教義で劣る天台宗が、最澄なきあと生き残りをかけて多くの星祭を生み出していったものと考えられている。

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陰陽道の星祭り・信仰


・属星祭−−飛鳥時代から行なわれた古い祭り。生まれた年の干支により、北斗七星の中のどれかの星がその人の属星となる。その属星を元旦に祭る。

・泰山府君祭−−11世紀ごろから発展した大型の祭り。泰山府君は道教の冥府の神で、太一神(北極星)と 同一視される。主に天皇のための祭りで内容の詳細は不明。

・天曹地府祭−−水宮、北帝などの他12星座も祭る。天皇個人の祭り。

・玄宮北極祭−−北辰を祭る。

・四方拝−−元旦に行なわれる。属星、四方、北斗七星、大将軍星、太一星等を祭る。

・鎮宅霊府神祭−−北斗七星をはじめとする72の星神を祭るらしい。

・螢惑祭など−−5惑星の特性にそい、怪異静め、炎封じ、天変消去等の目的で行なわれた。

 

密教の星祭・信仰


・北斗法−−北斗曼陀羅を掲げ、祭壇に本命星を中心に四方に本命宿、当年星、生年宮、本命曜を配し息災延命を祈願する。

・尊星王法−−北斗七星と妙見菩薩を祭る。

・本命星供−−天台宗の属星祭。燭盛光法。

・大曼陀羅供−−北斗七星、12宮の神、16天、
27宿を祭る、天台宗の祭。

・元辰星供養−−自分の干支の方角の逆に相当する干支から求める裏本名星を祭るもの。

・本命日−−生まれた年あるいは日の干支、また生まれた年の支の日を本命日とし、忌み慎む。
 (961年に、生まれた年の干支か、日の干支かで、陰陽道の賀茂保憲と密教の法蔵法師が争い、保憲が勝利した。しかし、11世紀よりあとでは本命日は生まれた日の干支とするようになった。)

・本命宿−−生年月日の日を、
27宿の1つにあて、本命宿とする。各月の1日に相当する宿を前もって決めておき、その宿から東−北−西−南の順に数えていく。
  (これも保憲と法蔵で争われた。法蔵は生まれた日に月がいた宿を本命宿とするという珍しい説を出し、勝利したが、一般には前記の保憲の決め方が正しい。)

・本命宮−−インド経由の西洋占星術がもとになっている宿曜道ならではの信仰。

・年星−−年齢により、その年だけの守護星となるもの。

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昔の皇族・貴族は陰陽道好き


・聖徳太子は陰陽五行の思想を利用している、といっている研究者もいる。官位12階は北極星を回る12星からとられた、官吏の服の色も五行配当と同じである、17条憲法も陰の極数8+陽の極数9からなり、前半8条と後半9条では書き方が異なっている、というのがその主張。素人目には根拠がうすそうにみえるのだが.....。

・壬神の乱の勝者天武天皇は陰陽道マニアで、自身が天文や遁甲をよくしたと日本書紀に記されてある。壬神の乱をおこす際も、式という星占い板で勝利を占っている。

・淳仁天皇の時代、僧・道鏡と争い破れた藤原仲麻呂は、仲麻呂のやとっていた陰陽師が道鏡側に密告したことから謀反が失敗した。

・9世紀の陰陽師・刀伎値川人は大納言・安倍安仁を怒る地神から遁甲の術で救った。(今昔物語)

・10世紀の陰陽師・安倍晴明、別の陰陽師に呪われた蔵人の小将を呪い返しで救う。(宇治拾遺物語)
 晴明は、花山天皇の原因不明の頭痛を前世を見通して治す(古事談)など、奇談が多数伝わっているのは有名。ただ暦の計算をしたような話はほとんどない。

・藤原道長の日記「御堂関白記」は、陰陽師が吉凶を記した暦「具注暦」に自分の日記が書き込まれたもの。
 道長は陰陽道の占い過敏症で知られ、日が悪い、方角が悪いとたびたび家にひきこもった。
 だが、もっと過敏な貴族は、爪を切るにも具注暦に従って吉日を選んだそうである。

・10世紀ごろの平安貴族の浮気の言い訳として、「家に帰るには方角が悪かったので**家に泊まった」というのがよく使われた。最も不自然ではない理由だったそうである。

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安倍晴明


 どの陰陽道の本を読んでも、まずまちがいなく安倍晴明の話が出てくる。「帝都物語」などにも出てくる、 陰陽道のスーパースターと言われる安倍晴明とはそんなにすごい人物なのだろうか。

 晴明に関する話は、日本霊異記、宇治拾遺物語、故事談、大鏡、三代実録、続日本記、と多くの文献にあり, どれも呪術や超能力を使い、人を助ける話である。中には晴明がとっくに死んでる時代の話もいくつかある。
時代をこえて活躍してもさして不自然じゃないくらいの?名声であったようだ。

 芦屋道満と術くらべをして、箱の中味をあてた道満に対し、晴明は箱の中の夏みかんをネズミに変えてみせたとか、そういった話は数多いが、晴明の本職は宮廷の陰陽寮の天文博士である。
 これは天変を見て世の中のできごとを占う、天変型星占いを行なう職である。彼はちゃんと仕事をやっていたのであろうか?
晴明が星をみて何かしたという記録は、私が知る限り1つで、花山天皇が突然出家したとき天象を見てそれを言いあてたという話くらいである。

 奈良県桜井市にある安倍山文殊院は、安倍家の氏寺として建立された寺だが、そのあたりに伝わる話では 晴明が作った暦は、遣唐使安倍仲麻呂(晴明は安倍仲麻呂の子孫)が持ち帰った(仲麻呂は唐で没したのだが?)暦がもとになっているというものがあるらしい。

晴明が陰陽師らしく暦を作ったのか、と思ったのだが、仲麻呂は770年に亡くなっているので、そのころの中国の暦というと五紀暦である。日本ではまだその前の大汀暦が使われていた。
晴明が活躍した10世紀は、日本でも新しい宣明暦が使われていた。そんな200年も前の古い暦を利用するはずがないので、この話は大いにあやしい。
 やはり安倍晴明は暦の計算ができなかったのではないかと思う。

 晴明が書いたことがはっきりしている唯一の著書に「占事略決」というのがある。36種の占い法が説明されているそうで、陰陽道の基本文献だそうだ。ここでは単に「**は吉、○○は凶」といった結論だけのべられているのではなく、中国の原点の陰陽五行思想に近い、五行相克・相生の複雑な理論が書かれている。
 相当に学問(残念ながら天文学ではない)をつんだ聡明な方であったようだ。

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陰陽道の資料不足


 宿曜道系の星曼陀羅などの資料は多く残っているのに、陰陽道系の資料は、室町時代に庶民に出回ってきた 書物くらいしか残っていないのはなぜだろうか。
 
 陰陽道は11世紀以降、賀茂家と安倍家の独占となり、密室傾向が強くなった。
 そこまではいいのだが、賀茂家は直系の嗣子が殺され断絶、安倍家は土御門家と名前をかえて続いたが、うっかり豊臣秀次の依頼をうけて祈祷した土御門久ながが、秀吉の怒りをかって弾圧され、家伝の膨大な 陰陽道の資料をほとんど失って(焼かれた?)没落してしまったのだ。

 ああもったいない、さぞ、面白い図や、中国からの秘伝の文献、長年の天象記録などがあっただろうに........とほほほほ。

 

宿曜道のルーツ


 宿曜道の暦法は、符天暦がややこしい暦らしいので詳しい点が不明だが、星の信仰と占星術の実際はだいたいわかっている。

 宿曜道は仏教の中でも、真言・天台の両密教で行なわれる。密教は、大乗仏教の中でも最も新しい宗派で、 インド原産、広く知られるようになったのはA.D.7世紀ごろと言われる。

 インドでできたので、ヒンドゥー教の神々と縁が深い。9曜(9惑星)は、日曜スーリヤ、月曜ソーマ、 火曜アンガラカ、水曜ブダ、木曜プリハスパティ、金曜シュクラ、土用サナイスカラ、羅喉ラーフ、計都ケトゥで構成される。

 北斗七星はインドでは7聖仙、すばるは7聖仙の6人の妻だともいう。
7聖仙は、自分の妻と浮気をした軍神インドラの睾丸をとってしまったゴータマ仙、忍耐強い?ヴァシシタ仙、苦行を続けたが天女の色香に 負けて神通力がなくなったヴァシュヴァーミトラ仙、21人の妻をもったブラフマーの子カーシャパ仙、 苦行中によってくる女性を追い払うため「私と会えば必ず妊娠する」という呪文をかけたプラスティヤ仙、 目から月(ソーマ)が生まれたアトリ仙、アタルヴァ・ヴェーダのもとアタルタ・アンギラスで祭られた アンギラス仙などで、文献によりメンバーがちがうという。
 北極星はインドではドルヴァで、密教の妙見菩薩とは異なる。

 
27宿占星術(後に28宿となる)はインド独特のもので、中国の28宿とは宿の位置も名称も違う。原点はアーリア人の聖典の1つ、B.C.900ごろのアタルヴァヴェーダという呪術書である。中国28宿よりも古く、また後にインドに伝わるバビロニア風占星術とも違う。(メソポタミアには星宿はない。)

 密教でいう宇宙の原理は「胎蔵・金剛の両界曼陀羅」で表わされるらしい。両界曼陀羅は、やはりA.D.7 世紀ごろインドでもとができあがり、それぞれ「大日経」「金剛頂経」にまとめられ、大日経の方はインド僧 善無畏が中国にもっていって訳し、金剛頂経は不空三蔵がインドから持ち帰り訳した。
その2つの教典をもとに両界曼陀羅が中国で描かれたらしい。星の尊格はこの曼陀羅にも描かれている。

 最も大きい神格は中心仏の大日如来であろう。太陽・光の神で、インド名はヴァイローシャナ、名高い阿修羅 王である。ヴァイローシャナは、びるしゃな仏→大日如来と変化していくようだが、奈良の大仏はまだ大日如来になる前にびるしゃな仏である、というのは有名。

 北斗七星、妙見菩薩は他に独自の曼陀羅があるので、部分的にしか描かれていないが、28宿の神というのが女性神格で28人、描かれている。

 密教では、ヴェーダの神よりアスラとなった土着の神の方が重視されてきており、曼陀羅に登場する尊格は 多くがアスラ系のヒンドゥー神、または密教で作られた仏(明王など)である。

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★インドの神とイランの悪魔

 インドのアスラ(阿修羅)は、イランのゾロアスター教の最高神で光の神アフラ・マツダと同じもの、というのは有名な話である。反対にインドのデーヴァ神群は、ゾロアスター教ではダイヴァと呼ばれ悪魔の名称である。

イランとインドの民族はもともと1つだったそうで、インドでもアーリア人に征服される前は、イランのようにアスラ神群が神であったと言われている。

 アーリア人のリグ・ヴェーダの成立がB.C.1200ごろと言われる。リグ・ヴェーダ以前のインド3大神は、司法神にして最高神ヴァルナ、契約の神ミトラ、太陽神アリアマンで、アーディティヤ神群(12神)と呼ばれ、 どれもアスラ神であった。
ゾロアスター教では、今でもアフラ・マツダの下にアフラ・ヴァルナ、アフラ・ミスラの法の神がいる。リグ・ヴェーダでは、この3神は高位の神として登場はするが、賛歌はあまり捧げられていない。

リグ・ヴェーダで最も賛歌が多いのは、デーヴァ神インドラである。
 次第に主要神は、軍神にして雷神インドラ、火神アグニ、風神ヴァーユ、太陽神スーリヤというデーヴァ神になり、B.C.1000ごろのブラーフマナ文献ではブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌの力が強くなる。
この3神は ヒンドゥー教3大神とされ、B.C.200ごろのラーマーヤナ、マハーバーラタで人気が確立される。

 アスラとなった神々の復権は、A.D.700ごろ、仏教の人気が落ちて密教が登場してからのことで、祖国インドではなく、中国・日本でのことであった。


 

 

生活に残る陰陽道のなごり


・神社のお札・お寺のお守り−−陰陽道の符呪がもとである。特に複雑なものほど、陰陽道起源と思われる。 文字ではなく特殊な図形が書かれているのは道教の霊符。丸は星を表わす。

・毎年、毎日の60干支。

・忍者のとなえる九字。(陰陽師葦屋道満が発明したと伝えられるが、うそ。中国の古くから伝わるじゅ文のようなもので、インドからの伝来ではない。)

・鬼門封じ−−北東の方角の塀をへこませる、京都の鬼門封じとしての比叡山延略寺など。

・☆マーク−−晴明桔梗といい、魔除に使われる。

・伊勢神宮の竹とり儀式の太一の扇。

・庚申信仰−−庚申の日の夜に、庚申社などに集まり、精進料理を供えて、宴会しながら朝を待つという行事で、人間の善行悪行を司令神に密告する三戸の虫の報告をふせぐためという。甲の日なので猿田彦の神と結びついた。中国道教に由来し、日本の陰陽道の行事であった。

・お正月のお屠蘇−−中国の道教の仙薬がもとである。

・1/7の七草かゆ−−7草とは7星を表わし、49回包丁で切るのは、7曜+9曜+5曜+28宿で49ということである。延命息災の効があるとされた。

・節分−−昔は節分で新年と旧年をわけ、1つ年をとった。新年の自分の星回りにあたる星を祭り、除災招福を 願った。鬼を追うのは古代の宮廷の儀式追難儀礼が起源とされる。

・雛祭り−−3月の巳の日は、巳の日の祓という禊ぎの儀式があり、桃の節句となった。

・端午の節句−−菖蒲とちまきは、中国道教の疫病よけのシンボルだそうだ。

七夕−−短冊をつけた笹を燃やすのは、道教の儀式にちなんだものらしい。

・9/9の重陽の節句−−陽の数9が重なり縁起がよい日。陰陽道に詳しい天武天皇が菊の宴をもよおし、慣例になったらしい。

・大祓い−−12月にいっさいの罪の汚れを洗い清める。やはり天武天皇が創始者。

・天皇という言葉−−天武帝が「おおきみ」と呼ばれていた天皇の呼び方を変えた。これは天皇大帝と呼ばれた北極星からとった呼び名。陰陽道では北極星は世界の王であるとされていた。

【参考文献】
・大森宗他編「陰陽道の本」学習研究社
・金指正三「星占い、星祭」青蛙房
・速水郁「呪術宗教の世界」塙新書
・矢野道雄「占星術師たちのインド」中公新書
・中山茂「日本の天文学」岩波新書
・西上ハルオ「マンダラ博仏館」鷺書房
・「星の信仰」神奈川県立金沢文庫
・村山修一「日本陰陽道史話」大阪書籍
・頼富幸宏「マンダラの仏たち」東京美術

 

日本の星の信仰の年表

 

 
------------<中国>--------------------------
 
 B.C.6世紀?・老子により
        <道教>誕生(宗教)                                                            
        道教は多神教で、北斗星君、南極老人星等、
星の神も多い。不老不死の仙境をめざした。
 
 B.C.5世紀?・陰陽説成立(自然哲学)                                                            
       ・五行説成立(”)                                                                  
       ・八卦成立(占いに近い)                                                            
         |
     ・儒教→|←・時と暦(干支など)
     ・惑星→|←・医学
         |←・風水
         
 B.C.0ごろ  みんな合体して
 
     <陰陽五行思想>成立(自然哲学) 重要文献は「易経」
 
-----------------<インド>----------------------------      
B.C.900? アタルヴァ・ヴェーダ                                    
          27宿占星術、他                       
A.D.6世紀ヴァラーハミヒラ「大集成」                          
A.D.718  「9執暦」など                                  
                                               
 A.D.760ごろ  ・インドの教典の中国訳から     
 
    <宿曜道>(星占い)誕生。  重要文献は「宿曜経」(不空の訳)
 
---------------------<日本>--------------------
 
 A.D.1世紀? ヤマタイ国の鬼道(道教の呪術?)
 
 6世紀 ・<陰陽道>伝来
      聖徳太子、天武天皇らは陰陽道をよく利用している。
      道教の呪術も陰陽道の一部として伝来した。
     ・<宿曜道>伝わるが、呪術的なもの。
 
 577 ・<呪禁道>百済より伝来。
      道教の呪術部門。呪祖医療の他、漢方医療も行う。
 
 670 ・帰化人により初の属星祭行われる。
 
 676 ・朝廷の陰陽寮、初めて記述に登場。
     ・陰陽の頭(行政)・天文博士(天変)・暦博士(科学) 
      ・漏刻博士(水時計)・陰陽博士(占い)
       他、研究生などで各部門が構成されている。
 
 690 ・賀茂役君小角活躍。<修験道>作る
 692 ・儀鳳暦
 
 701 ・大宝律令(陰陽道の国家独占)
 8世紀 ・遣唐使により、最新の中国陰陽道の情報が伝わる。
 764 ・大汀暦
 794 ・平安京完成。鬼門封じなど、陰陽道の魔除があちこちに使われた都である。
 
 800?・空海「宿曜経」をもち帰る。<宿曜道>本格的に研究始まる。
      宿曜道とは密教(真言、天台)の占星術のことである。
 850?・「都利いっし経」(トレミーの占星術書の中国訳)伝来。
      宿曜道の重要文献である。
 858 ・五紀暦。
 862 ・宣明暦。この暦は江戸幕府天文方渋川春海の貞享暦まで陰陽寮で使われ続ける。
 
 900 ・「符天暦」伝来。中国のやり方と違う珍しい暦で、宿曜道の暦計算の重要文献。
      密教の星曼陀羅(北斗曼陀羅、尊星曼陀羅、妙見曼陀羅)が作られ始める。
 
9−11世紀 ・貴族に陰陽道の占い大流行。
     ・陰陽道の天皇家による独占はゆるぎ、公家に<民間陰陽道>広まる。
     ・宿曜道、陰陽道の暦を批判。日蝕予報でたびたび対決する。
 
 921 ・安倍晴明生まれる。(安倍家は安倍仲磨呂の子孫)
      著書は「占事略決」が残るのみだが、重要な陰陽道の占いの文献である。
      法師陰陽師芦屋道満、九字を開発。道満は出身地播磨の国佐用で亡くなるが
      陰陽師の本拠地は播磨の国であったようで、安倍晴明も播磨守になったことがある。
 
1000?・暦道を加茂家、天文道を安倍家が世襲することになる。
      実力主義が消え、陰陽寮の科学は進歩しなくなる。
 
 
鎌倉時代 ・幕府も陰陽道を行い、頼朝の政権奪取の日も陰陽師が吉日と決めた。
     承久の乱では、幕府側と朝廷側双方で陰陽師に祈祷をさせた。
 
室町時代 ・加茂家が勘解由小路家、安倍家が土御門家となる。
      勘解由小路家は途中で断絶し、土御門家が暦博士も兼務するようになる。
      庶民にも陰陽道が広まり、鎌倉末期に作られた秘伝「ほき外伝」も出回った。
 
1600 ・徳川家康、土御門家を再興。
      土御門家は全国の陰陽師をまとめる立場となる。<土御門神道>誕生。
      江戸は京都同様、陰陽道(風水)を使って作られた都市である。
1685 ・渋川春海の貞享暦。
 
1800 ・天文方高橋至時活躍。ラランデ暦書翻訳始まる。
1843 ・天保暦。(初めて惑星に楕円軌道を採用した正確な太陰太陽暦)
 
1867 ・明治維新。天文方は幕府とともに消滅する。
      編暦は一時的に土御門家にもどるが、明治政府は新しく天文局を作り、改暦を検討。
1872 ・グレゴリオ暦に改暦。陰陽道は明治政府から禁止される。

 


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