Japanese Stellar Folklore
日本の星の民俗

[天文民俗学ページ]

[日本の星TOPへ]

 

[歳時記の中の星](NEW)

[十五夜のお月見]

[七夕の民俗と星]

[石塔と星]

[アジアの星型羽衣伝説 ]

[妙見宮・北斗宮]

[水の中の織り姫]

[星が登場する日本の古代文献]

[十二支]

[住吉3神]

 

十五夜のお月見

 8月15日は十五夜でお月見をする。お月見は満月でなくてはならないので、新暦の時代になってもお月見は旧暦の8月15日である。8月15日は中秋であり、中国では正月と対応する行事になっている。
 なぜ旧暦8月だけ月を見るのだろうか?

 日本の月見はもとをたどると、中国の風習が入ってきた可能性が高い。中国ではだんごではなく月餅をおそなえする。
 その中間の韓国にも8月15日の月見はある。女性の祭となっており、月を見るのは女性の役目だという。中国でも女性が着飾って外出する風習があるところもある。
ただし、日本の月見は多くの地方で8月15日と9月13日(十三夜)の2回月見を するのだが、中国、韓国ではどうやら9月13日はないらしい。

 お月見はなぜ行うのか?古くから多くの民俗学の研究があるが、近年は大林太良氏他の現地調査で、
 ☆中国の8月15日の月見では、そのさいにサトイモを食べる習慣がかなり多いこと、
 ☆ニューギニア、マレーシア、フィリピン方面でも8月15日に祭があり、サトイモ(現地ではタロイモとよんでいる)を食べる
等のことから、どうやら「サトイモの収穫祭」説に次第におちついてきている。それに各地の風俗などが加わってアレンジされたのであろう。
 
 筆者が調べた静岡県の民俗でも、8月15日のお月見につくる団子は、原則として新米でつくり、間に合わない場合も数粒でも新米をいれて作ることから、収穫祭っぽい行事であることがわかる。
従来の説では米を中心に考えられ、米の収穫祭には早すぎるため、8月15日のお月見の収穫祝い説がどうもぱっとしなかったのである。

 やはり十五夜が収穫祭であるとすると、9月13日の十三夜という日本独自の月見が 生まれた理由もわかる。日本の農業にあった収穫祝いを加えたのであろう。

 満ち欠けする月→生あるものは必ず死ぬという運命、死と再生→育っては枯れる植物、収穫→月のみちかけから女性の月経の周期→生命の誕生、世代の交代、子孫の繁栄、、と続く原始の人間の考え方から、月をうやまう民俗は生まれたといわれるのが、現在の民俗学、文化人類学の説である。

 沖浦和光著「竹の民俗誌」によると、南太平洋のスンバ島、サブ島などの8月15日の祭はにぎやかなカーニバルで、月明かりの下で歌って飲食をして楽しくすごすそうである。
・伊豆七島の十五夜--楽しい遊びの日で、昼は相撲に興じ、夜は満月が出るのを 待って、綱引き、手踊りなどをして夜通し遊ぶ。("島と島人"八弘書店)

・静岡の十五夜--8月、9月と月見が行われる。8月15日は収穫の前、9月13日は 収穫の月であり、非常に重要である。静岡県では月見団子のほかヘソもち、へそ 団子をそなえる。県下農村では十五夜は収穫祭りあるいは収穫予祭りという 性格をもった行事として伝えられている。("静岡県民俗歳時記"静岡新聞社)

・鹿児島の十五夜--旧暦7月7日から8月15日まで毎晩相撲をとることが多い。八朔相撲といって 竹竿のさきっぽにシュロの葉をかぶせたものをもって海岸を2組に別れて向かい合って 進みあう行事がある地方がある。また夜間に明かりをたいて相撲をとる明かり相撲を 行う村もある。十五夜綱引きは子どもが中心になって行うものでは年間最大の 行事で、カヤやカンネンカズラで大縄を作る。この綱を竜や蛇とする 意識が広く見られる。("鹿児島の暦")

トップへ

 

 

石塔と星

  石塔、石仏というのは、都会の真ん中以外は、どこにいっても見かけるものですね.石塔には、 月と太陽をきざんだものが多くあります.よくみると26夜などと月齢を記してある塔もあります.
  そう、たしかに、石塔と天体は関係があるのです.
 

[月待塔]

  いちばん具体的なのは月待塔でしょう.主に江戸時代に行なわれた、皆で集まり月が昇のを待ちながら、 その月齢の祭神に祈る行事のもので、13夜、17夜、19夜、23夜、26夜待などがあります.
  そういった塔には、月や太陽の絵とともに、それぞれの本尊である虚空蔵菩薩や如意輪観音などがきざまれ ていることが多いようです.    最も人気があったのが23夜待のようで、勢至菩薩が祭神です.どういう割ふり方で祭神が決まって いるのかわかりませんが、月待塔でも23夜塔が最も多いかもしれません.
    この月待行事は、江戸後記になると宴会風になったようで、絵をみるとなかなか楽しそうです.
 

[庚申塔]

  他に月と太陽がきざまれている石塔に、庚申塔というのもあります.これは月待塔に比べて数は だんぜんに多く色々なタイプがあります.
 
  昔の暦には干支が割り振られており、60日に1日庚申の日があります.中国の道教の説で、庚申の夜 には、人が寝ている間に、体の中にいる三戸の虫が、天帝(おなじみ、織り姫のパパですね)に、その人間 の悪い行いを報告に行くという話があります.天帝に悪いことを知られると、殺されて地獄にいってしまう ので、人々は庚申の夜は徹夜をして、三戸の虫が出て行かないようにしていました.それが庚申信仰です.
 
  庚申の夜の徹夜を庚申待ちといい、江戸時代にほぼ全国で行なわれていました.庚申の神様という ものが想像され、各地に庚申塔という石仏がたくさん作られ、祭られました.庚申の神様は、長寿 がご利益なのですが、地方ごとに豊作や豊漁などのききめもあるとされました.
 
  庚申塔は作ること自体ご利益があるとされたので、とてもたくさんあります.
 庚申塔のポピュラー なパターンとして、中央に明王など祭神がきて、その上方に月と太陽が並ぶようです.
 1471年の庚申塔が 全国で最も古いそうで、古い庚申塔は文字だけ描かれています.
 年号や真言などが書かれているものが 多いですが、「木星は**に宿る」と木星の位置により干支を表現している文も出てきます.
 

[石塔の正体]

  三戸説が中国の道教のものなので、庚申信仰は陰陽道系の祭事、ということになります.(※日本の 陰陽道は、中国の陰陽五行哲学と道教が合体したようなもの)
  陰陽道はいちおう哲学なので、どの宗教とも融合が可能で、庚申信仰の祭神は、密教の観音や 明王だったり、神道の猿田彦の命、それと関連した3さるが描かれることもあります.
 庚申行事のもとに なった祭神は、もう知ることができない日本の土着の神様で、道教が輸入されてそれと合体したというのが、 柳田国男を始めとする多くの民俗学者の説です.
 
 石塔には、真ん中や祭神の絵の上に、梵字(インドのサンスクリット文字)が刻まれて いるものもあります.梵字が出て来るということは、密教系です.梵字は、密教の曼陀羅に出て 来る何十という菩薩、観音、明王などのどれかを表わしています.しかし、一対一対応ではないので、 周囲の様子から、これは不動明王だ、阿弥陀仏だ、などと判断します.
    文字の碑では、大日如来の光明真言が、梵字で描かれているものもあります.
 
  道ばたや山の洞窟の石仏・石塔は、政府や大名が建造したものではありません.
 名もない庶民が、 苦労をしてお金を工面し、石工やお坊さんに建ててもらい、昔から日本人最大の願いである延命長寿を願ったものなのです.
    石塔・石仏の大半が、陰陽道(道教)系と密教(真言、天台宗)系であることから、あらためて、 この2つの星占い色の濃い信仰が、日本人に好かれていたことがわかります.
 
  陰陽道と密教は、平安時代までは天皇家と貴族だけのものでした.鎌倉・室町になって民間に広く 伝わり、行なわれるようになりました.平安陰陽道も平安密教も≒星祭+暦占いみたいなものでしたから、 民間に広まった陰陽道・密教も、最初から月と星がついてまわったわけです.
 
  一見、土着信仰の香りをただよわせて、庚申塔や石仏にくっついている月や太陽は、順を追って 調べてみると、あまり不思議なものではないのですね.
 

[近所の石塔]

  岩手県の陸中海岸の19市町村の石仏5430体中、庚申塔はその1/8の681基だそうです.大きい宮古市 など1120基の石仏があるそうです
 湘南地区の120基の 石仏を調査した報告もあります.全国にいくつあるかはこの調子では数えきれません.
 
[中山道の石仏の調査]
[星の民俗館の月待ちページ]

トップへ

 

住吉三神は星の神か

 天文界にとどまらず、史学者でも、底筒之男、中筒之男、表筒之男の住吉三神を、  航海神であると共に星であるとする方は、多いようです.筒之男という  ものが何だかよくわからないことの他に、理由として

(1).宵の明星のことをユフツヅ(長庚,夕星)という、
(2).古代は航海に星の観測は必需品であった、
の2点があります.
 しいていえば、オリオンの三星ではないか、という説が多いです.
 
  さて、残念ながら、現在においては反論の方が優勢にあり、
(1).国語学上では、 元々ユフツヅであって、ユフツツではない.濁点のある無しは、古代では、はっきり とした差異である(ユウヅツという発音は現代語.過去は皆ユウツヅ.またユウツツという発音はない.辞書参照)
(2).ユフツヅとしてだけ使われ、ただのツヅだけでは使われない
(3).住吉の地名は、澄んだ水の入り江からきており、古事記には墨江と記されている.また港として古くから発展している.ツツノオは、「津々之男」とみるとぴったりくる(支持者多数)
....といったところで、素人が反論しにくい状況です.
 では何の神かというと、住吉三神は実は地方神というより大和政権と結びつきが強く、海外遠征  航路の神、軍神ではないかとも言われています.
 
 特にあの美しい本「神話の森」等をだされている山本節氏が、星神ではない 説をとっている他、大林太良,吉田敦彦監修の「日本神話事典」(大和書房)でも 上記の理由ではっきり否定されているなど、大御所の支持がないのが ひびいているように思います.
天文畑の説と専門家の説が違っている場合、まず後者をとった方が無難です. 参照資料および論文数がそうとう違いますので.で、これも私は住吉三神は星神ではない説をずっととっていました.

ああところが、
延喜式内社の紹介HPで、速星神社なるものを発見してしまいました.名前だけ ならなんでもないのですが、祭神が「五十男尊」と「住吉三神」.筒がつく神が4名、その神社が速星とは..... これは古代人が筒=星とみている証拠となりえるものです.
この神社は延喜式内社であり、平安時代以前の神社.とってつけたような 話ではりません.

で、結局どうかというと、うーーんどちらともいえないので、もうちょっと調べて みる必要があります .

(岡田精司「神社の古代史」大阪書籍,山本節「神話の森」他より)

トップへ

 

星が登場する日本の古代文献

 「古事記」「日本書紀」以外にも、紀元前数世紀〜6世紀の日本の神話〜建国物語 を描いた書物は、真偽はともかくとして、いくらか存在します.
    大分の「上記(うえつふみ)」、浅間神社の「宮下文書」等です.そのだいたいの 内容は日本神話の地方版のようなもので、違うエピソードが多数入っています.
いずれも成立は平安時代のようです.
 ただ正史と異なり、真偽も不明のため、普通の歴史書には登場しません.

 そういった異端の文書の一つ「東日流(つがる)外三郡史」は、つい最近、 偽書として告発・報道され、古代史界 衝撃を与えました.
 
 「上記」や同じく異端の「天書(あまつふみ)」等には、日本書紀、古事記には欠落 している星の神様が多数登場するので、ちょっと気になってしまうわけです.
 
 「上記」は古代に書かれた文書というふれこみではなく、1223年に豊後(大分県)の守護職大友氏が、全国の言伝えをまとめて編纂したとされています.
  古代史研究 家の意見を総合すると、大分地方のサンカの一族(このサンカというのは存在自体が 怪しいらしい)に伝えられた伝承を中心に、全国の 伝説を加え、豊国文字(暗号カナ)で筆記したもののようです.
 内容は記・紀の神話部分が中心です.古代の倭語が使われ、各地の風土記や神社の 祝詞、地元だけに伝わる伝承と一致する部分も多く、ある程度説得力があります.
 「上記」だけは、偽書とされている古代文献によくある文献の迫害についての 記述がほとんどない、他の文献では出ているでっちあげ説があまりない、 など、平安時代制作の文書としてなら使えそうな雰囲気はもっています。

 登場する星の神様は、オオミツツ、トムツツ(北極星だとか?)、タセツツ、etc. ベテルギウスがアカユツツ、スピカがイユキツツだそうです.
   「上記」では「ツツ」という語を単独で星という意味に用いています.
 これは日本の どの文献にも登場しない表現で、「上記」独特の単語の1つですが、住吉三神(底筒ノ 男、etc)をオリオンの三星とするアイディアのより所となったとも想像されます. また「上記」には一ヶ月を30日、1年を360日+4日とする、太陽暦が使われ ています.これは古代インド暦や古代エジプト暦などと同じです.
   「上記」に星座は登場せず、代わりに周極星を重視して記述しているそうです.
 
 富士山の浅間神社から、宮司の宮下氏が明治に発見した「宮下文書」もよく話題に なります.内容の飛び方は「上記」を上回り、日本の神々が中国大陸からやってきた とする、壮大な物語で、言語などからとにかく平安以降の作品のようです.
 現存の文書は神奈川県の寒川神社にあったものの書き写しとされています.寒川神社 は相模国一宮、古刹ですが、祭神がサムカワヒコ、ヒメという謎の神様です。 怪しい文書があっても不思議ではないですが、さてこの文書のことが寒川神社の 公式記録に登場したのをみたことがありません。やはりトンデモ古代文献説が 正しいようにもおもえます。

何れにしろ異端文書類については学会が認定してから引用するのがよいでしょう.
 
トップへ

 

 

アジアの星型羽衣伝説


  七夕物語は中国から伝わったのはよく知られていますが、「天女の羽衣」伝説も大陸原産です.  たとえば、タイの舞劇ノーラ、孔雀の舞等は、羽衣伝説をテーマとしているのだそうです.

    ベトナム、フィリピンにも羽衣伝説があり、そういった山地の羽衣伝説は、天から降りて来る 天女は星なのです.やはり人間の男に羽衣を隠され、天に帰れず妻になり、結局見つかって天女は 天にかえる.しかし男も後を追って天にのぼり、最後は7月7日の夜だけ会えるようになる....と いうものです.(七夕型)
  また中国では、天女は7星の1星が地上におりた、という種類のものがあり、その天女の子が 部族の祖先となる、というものです.(7星型)

  「地上に降りた星」が羽衣をかくされる話は、文化人類学・民俗学の分野で星型羽衣伝説と 名づけられたようです.上記の七夕型と7星型の2種類がアジア全域に伝わっています.
 
  星型羽衣伝説は、ロマンチックなせいでしょうか、研究者はけっこうおられます. 採集した数では七夕型、7星型は半々とか.7星は、北斗か昂か意見の分かれるところです.
    羽衣伝説はヨーロッパにもあり、間をとってインド起源だという説も..(反対者多し).

  ヨーロッパの「天女の羽衣」伝説(らしきもの)をご紹介します.イギリス海岸地方の妖精 伝説に、アザラシが皮をぬいで美女になり、漁師がアザラシの皮をかくしてしまって、美女は 海の中の国にかえれず、漁師の妻となる..しかし結局皮が見つかり、美女はアザラシになって 海に帰ってしまう....というのがあります.
 これはお笑いではなく、現地の人にしてみれば、 けっこうしみじみした話のようです.
 
(君島久子編「日本民間伝承の源流」小学館他より)


トップへ

 

 

水の中の織り姫

  七夕伝説は、中国や日本だけではなく、朝鮮半島・東南アジアの国々に、様々なバリエー ションをもって広く分布しています.
    日本の七夕伝説では、竜宮が登場し浦島子伝説と合体しているもの、織女が天女で羽衣伝説と 合体しているものもあります.柳田国男が採集した民話によると、澄んだ泉の底で機を織る 乙女の物語、というものが全国に散在するそうです.また、浦島子伝説でも、乙姫が竜宮で 機を織っているという話もあります.
 
  この水中の織り姫は、日本独自の色合いが濃いものです.日本の七夕は、ご存じのように、 中国の星祭乞巧奠(きっこうでん)と、日本の棚機つ女の伝説、さらに農村の禊ぎの伝説が 合体したものです.棚機つ女は、水辺で夜おきて、神の降臨を待つ機織り娘..という感じで、 水でけがれを清める農村の行事と一緒になりました.日本七夕は雨の方が喜ばれるのです.
    一方他のアジアの七夕伝説は、大水で流されて2人が離ればなれになったり、水はよくない ものとする傾向が強いように見受けられます.
    朝鮮の七夕伝説は、逢瀬の日に天の川が2人をわかち、2人の涙で地上は大雨になったので 国王が、国中のかささぎを集め、天に橋を作るように命じた..というもので、以来7月7日は 普段国中に沢山いるかささぎが1羽も見あたらないそうです.
 (申来玄「朝鮮の神話と伝説」1981.筆者は本当に7/7にはかささぎが1羽も見つからないと書いています)

参考文献:
網野善彦他編「瓜と龍蛇」(福音館書店)
トップへ

 

 

妙見宮・北斗宮が近代に消えた理由

  日本各地に、歴史ある妙見宮、北斗宮が多数存在していたはずですが、今地図にのっている 神社にはほとんど見あたりません.実は神社本体はあるのですが、名称が違うのです.
    妙見宮の多くは、仏教のお寺と神道の神社が合体した宮でした.ところが明治維新で、神仏 分離行なわれ、奈良時代からの神仏習合で区別があいまいだった、お寺と神社が独立すること になりました.この際に、神社に属す妙見宮は、祭神を変更せざるをえなかったのです.
    妙見宮の主尊は、もちろん妙見菩薩です.仏教の菩薩を祭神にするわけにはいかないですか ら土地の神か、大和神話路線では実体がない太古の神アメノミナカノ主やタカミムスビ神を 祭神にもってきたところが多いようです.そして名称も適当な名前に改名されました.
    旧妙見宮の秩父神社は、まだ地元では「妙見さま」と呼ばれています.でもこの呼び名も、 時とともに消えてしまうことでしょう.
 
  日本人は仏教のお盆を祝いながら初詣でもする、へんだなあ、などと言われますが、元々 神仏習合の方が普通で、さらに土地の神も仲良く祭るのが、日本の伝統ある信仰のやり方だっ たのですね.あの伊勢神宮ですら、その境内に「伊勢大神宮寺」なるものが存在した時期も あったほどです.
 (奈良時代)
  今も地方に行くと、大日如来を祭神としたままがんばる神社も見られます.
 また、八幡神社 などは菩薩が祭神でも許されました.八幡様は、源平合戦・屋島の戦いでの那須与一のセリフ 「南無八幡大菩薩、的をはずさせたもうな!」で知られる、人気のある神様です.
    全国数万社を誇る八幡神社は、最も早い神仏習合神と言われます.「大辞林」によりますと 初めは大分県の農業神で、仏教導入で大菩薩の名を送られ、さらに応仁天皇・神功皇后とも 同一視されたとあり、バラエディ豊かでとっても日本的な神様のようですね.
 
参考文献: 日本民俗学大系4「神と仏」小学館,
森浩一「日本神話の考古学」朝日新聞社

トップへ

 

 

十二支

  十二支は,十干より古く、殷の時代から使われていたとも言われます.それが日本に伝わり ました.まず動物が浮かびますが,元々動物は関係していません.
 アルファベットみたいな もので,方角や時刻、日月などを数えるための記号集でした. 子,丑,寅,卯,辰,巳,午, 未,甲,酉,戌,亥で,草木の成長の度合を表わす語を順番に並べたものです.
 たとえば, 卯はボウで,草木が茂る状態を表わしています.
 江戸時代まで、この十二支を使って、時刻 方位などを表わし、日常生活に身近なものでした.
    
    どう星に関係しているかというと、年の十二支の決め方は、黄道を12年で1周する木星を 基準とし、黄道を12にわけて十二支を当てはめ、木星と反対方向に動いていく「太歳」なる星を 仮定し、その場所をその年の12支としたのです.
    木星の場所で、年の干支を記述する方法は、日本でも各地の庚申塔に見られます.紀銘年と 言うものですが、暗号化が激しく、よほど熟練しないと読めません.木星は、龍、星、歳という文字で記述されているようです.大歳(太歳?),大才と書くこともあるようです.
   
           B.C.5〜3世紀の中国の春秋時代に、十二支に動物をあてはめるようになりました.民衆に 覚え易くするためだと言われます.日本でも、十二支は、強引に当てはめられた動物の名で 発音するものとして伝わりました.子は元の発音はシだったのに、ネズミのネになり、以下は  それに続いて、十二支独特のへんてこな読みで現在も使われています.
 


Special Thanks To:
アクセサリーアイテム and KOBEYA for web CG.

トップへ