Japanese Stellar Myth and Legends
日本の星の伝説[関東]
[北斗寺:茨城県つくば市]
173 インターネットHP他より
つくば市北斗寺は、北斗七星の化身とされる妙見菩薩を
本尊としている。旧暦1月7日には星祭を行っている。
[玉ヶ崎明神と妙見宮:銚子] 154
荒俣宏"怪奇の国ニッポン"集英社文庫
鹿島神宮はタケミカヅチを祭る数少ない神社の1つである。江戸の学者
平田篤胤の記録によると、その
近所に玉ヶ崎明神があるという。さらに玉ヶ崎明神のそばに
「妙見宮」があり、寄り石が祭られているという。寄り石とは、波で
海岸にうちあげられる石で、穴のあいているホラ貝石が多く
おさめられているという。吹くと音が出るらしい。現在その神社は
どうもないらしいが、他にいくつか神社があると書かれている。
鹿島神宮にも
天の石笛伝説がある。石笛と妙見宮の関係は不明である。
同書によると、鹿島神宮近辺は「甕(みか)」とつく地名が多い
という。甕は瓶のことである。鹿島神宮はもともと甕島でミが
とれてカシマになったという
[和尚星・茨城県白鳥村] 6
むごい殺され方をした上総国の和尚が星になった. 雨の降る前の晩には南の空に必ず出るという.
[23夜寺:埼玉県皆野町] 10
[埼玉県の歴史散歩]山川出版
秩父13仏霊場の1つで、真言宗の寺.1、5、9、11月の半月の夜に23夜祭りが行われ、勢至菩薩
家族の幸福が祈願される.
トップへ

[秩父神社:埼玉県秩父市] 11
金指正三[星占い・星祭]青蛙房
平安時代の延喜式にのる古社.崇神天皇の時代に、八意思兼命を祭ってつくられたといわれる.天慶
年間に上野国花園村の妙見菩薩を合祀した.後焼失し、1592年家康が再建.12/3の妙見宮の大祭
は現在秩父夜祭りとなった通称妙見様と呼ばれている.(妙見とは北極星のこと)
[千葉氏:千葉県千葉郡] 12
金指正三[星占い・星祭]青蛙房
千葉氏は、星をシンボルとする家系で知られている.[嫡流は月星をかたどりて家紋とし、末流は
諸星をもって家紋とす]と家訓にあるように、房総半島には北斗七星を型どったものなど、星の家紋が多い.
おがむのはもちろん妙見菩薩、想像するに宗教は真言か天台であったことだろう.
秩父妙見社も千葉氏の
一派による勧請である.
[十二天:埼玉県児玉町] 13
[神奈川県の歴史散歩]山川出版
800年代初期の十二天祠が、十二天池の先にある.十二天とは密教系の天部の神12柱のこと.
神奈川の茅ヶ崎市にも十二天という地名があり、古墳がある.東寺には十二天の掛軸や屏風などのが
多数残っている.真言・天台宗のお寺では、天体の神ということでよく祭られた.
[天狗:全国] 24
[日本未確認生物辞典]
中国の歴史書では、天狗ということばは、流星を表わす.
日本には637年の記述が最初で、
音をたてて流れてドスンとおちる流星のことであったが、だんだん高速で空をとぶ物の化となった ようだ.いつの間に鼻が高くなったのだろう?
[月読神社:全国] 25
月読神社のうちの一部は、太古の地元の月神を祭った祠が、大和朝廷の征服によって月読命を祭る神社
に変わった、という説は多くの民俗学者がとなえている.地元の月神・星神はまた、鎌倉時代以降には、
密教系の仏(十二天の中の月天ソーマや、北の守護の毘沙門天、妙見菩薩、馬頭観音?等)の信仰に
変化させられたりもした.
密教系は具体的に願いごとをかなえる仏が多いので、人気の高さの理由はわかる
が、これにかなりの日本独自の星の伝説が征服されたような気もする.
国際化時代に土着信仰の生き残りが難しいのは、日本に限らず諸外国も同じである.
[星谷寺、星野寺他:全国] 26
星の名前のつく寺は、多くは真言宗である.庶民や貴族に人気の高い星祭は、ライバルの多い真言・
天台にとって、ある時期は最大の売り物であった.なお天台宗の寺には狛犬が多いそうだ.
真言宗の寺が天台宗に比べて多いのは、密教が取り入れられた9世紀当時、俗化の激しい南都仏教を
批判した正直者の最澄に対し、空海はうまく南都仏教をおだてて共存をはかり、政府に受けがよかったと
いう点が大きい.さらに最澄は、当時密教の権威だった自分に比べ、ずっと知名度が低かった空海の力量を
認め、空海に弟子入りの儀式をしたという正直者である.もし最澄が空海を無視したとしたら、今の真言宗
はあったかどうか...しかし空海は、最澄が持っている経典より、はるかに重要な経典を多数持ち帰っており、
初期の天台宗は真言宗から経典を借りまくっていたという弱みもあった.
[星月の井:鎌倉市] 32 [神奈川県の歴史散歩]山川出版,永井路子他「鎌倉歴史散策」保育社
鎌倉7口(妖怪ではない.切り通しのこと)の1つ極楽寺坂にある井戸.天平年間に全国を行脚した
僧の行基が虚空蔵菩薩の求聞持法を行なっていたところ、この井戸の底で3つの明るい星が7晩輝いた.
底をさらってみると、黒光する石が出てきた.
天皇はそれをきいて虚空蔵菩薩を祭るように命じ、井戸
の前にお堂がある(お堂は後世の再建).昔は井戸の底に、昼間でも星が見えたという.(井戸の底から
見たのではなく、井戸の底に星が見えたとある.)[星月夜]は平安後期より鎌倉の枕詞になっている.
[2つの太陽:埼玉県狭山市] 33
ある夏太陽が2つ出た.1つは偽物だろうと行者が弓でいったところ、黒雲とともに、3本足の白鳥が
高い丘に落ちてきた.このとき、天が逆さになったように思われたので、その丘を天倒山、鳥の血が
流れてできた川をさかさ川といった.
ヒキガエルが月に住み、3本足のカラスが太陽に住む..と前漢の思想書"准南子"にある.
[首飾り星:埼玉県秩父郡吉田町] 34
宮田登他編[日本伝説大系5]みずうみ書房,
稲田浩二他[日本昔話辞典]弘文堂
平将門が秀郷に攻められ、城峰山の洞窟に隠れていたのを、愛妾桔梗の前が知らせたので、将門は怒って
桔梗の前の首をきった.秀郷はそれを哀れみ、桔梗の前の首飾りを空に投げ上げた.すると舞い上がって
今で言うかんむり座になった.以来、この地方ではかんむり座を首飾りとよぶ.
[十二天塚:群馬県藤岡市白石] 35
群馬歴史博物館友の会[古墳めぐりハンドブック]
群馬県は、東日本一古墳が多い県だそうである.白石古墳郡の中の稲荷山古墳という前方後円墳の北側
に十二天塚がある.十二天塚も稲荷山古墳とほぼ同時代(5世紀)とされているが、十二天は密教の仏で
あり、密教がインドで誕生したのは7世紀.本当に十二天塚が5世紀にできたなら、世界史をも書き換える
レコードものだが、昔は違う塚だったものが、後の密教の流行にのって、改名されたものと想像される.
[黄金伝説:北関東] 36
[朝日さす、夕日輝く、この**に、黄金千枚漆千杯]という言伝えが、関東近辺あちこちに残る.
**は、山であったり、丘であったり、石や花の下であったり、地名であったり、全て異なる.
しかし、ほとんどの場所で、朝日と夕日が見えると思うが....
[星宮神社:栃木県] 53
北尾浩一[栃木県下における星の民俗調査の報告]"天界"700号掲載
前出の北尾氏によると、栃木県下に13社も星宮神社があるそうだ.星が写ったという井戸等が残っていたが、北斗七星や七夕関連の伝承は
採集できなかったとある.もし旧妙見社の改名だとすると、密教関係になり、伝承はない可能性もあるだろう.
[日光東照宮:栃木県日光市] 62 小松和彦他,"日本の秘地,魔界と聖域"ワニ文庫
東照宮と星にいったい何の関係が?実はあるんですねえ.東照宮伝来の絵の1つには、相殿神(主神の他にいっしょに祭られている神)として、北斗七星が描かれているのです.
徳川家康の死後、霊を祭るため日光東照宮の建立を指揮したのは、山王神道の天海と言われている.
そのため、東照宮の主祭神は徳川家康だが、相殿神は山王神道の山王神と摩多羅神になった.この山王神道
には、古くから北辰信仰が導入されたらしい.山王神は、比叡山の日吉神社の主祭神で、山王七社を形成、
北斗七星を表わす.また、摩多羅神は輔星(アルコル)であると言われる.つまり東照宮の相殿神は、北斗七星と輔星なのである.徳川家康を北極星とみてのことらしい.だから、東照宮は江戸の真北に位置している.
[北斗石塔:栃木県桐生市] 63 園田敏夫"季刊星の手帖",星の手帖社
桐生市の北西の山中に,きれいな北斗七星が描かれ,丸い穴のあいた石塔がある.桐生市の北には地蔵岳,庚申山が並び,石仏は多そうな感じのところである.
[七夕岩:群馬県桐生市]64 "新版日本ミステリーガイド",学習研究社
京都からきた白滝姫が、機織りを伝え、桐生市は織物の町となった。姫が亡くなると、天から降った
という岩のそばにうめ、機織神として祭った。すると岩からカランコロンという機をおる音がきこえて
いたが、あるときゲタをはいて岩にのぼった者がおり、以降鳴らなくなった。この岩は白滝神社の社の前の
神体石であるという。
[妙見寺:群馬県群馬郡] 65 "群馬県の歴史散歩",山川出版
昔は七星山息災寺といって、北斗七星を祭っていた.今は天台宗だが神社でもあった.777年以前から
あったそうで、日本三妙見の1つと言われる.ただ兵庫県の旧妙見宮・名草神社の話では、3大妙見は,
名草神社と熊本の八代妙見、福島の相馬妙見となっている.
[天川二子山古墳:群馬県前橋市] 66 "群馬県の歴史散歩",山川出版
全長101mの前方後円墳.名前の由来は不明.
[北斗岩:茨城県筑波山]67 "新版日本ミステリーガイド",学習研究社
大岩が多い筑波山の岩の1つ.弘法大師が北斗の行を修行した岩という、見たところただの岩。
[千葉神社:千葉市中央区] 68 "千葉県の歴史散歩",山川出版
祭神は天御中主命で、通称妙見様.千葉常重が猪鼻城入城時に祭ったもので、本当の名称は北斗山尊光院金剛授寺(妙見寺)だが、明治の神仏分離で千葉神社となった.本当の祭神はもちろん妙見菩薩だ.
[星影神社:千葉県船橋市二和] 69 "千葉県の歴史散歩",山川出版
明治の開拓のときにできたらしい鎮守.名前の由来は不明.
そばに滝不動という寺があるが、1423年、この地に発光するものがあり、村々を照らした.通りかかった僧阿者梨がこれを見て21日間護摩をたき、地面を掘ったところ不動尊がでてきた.不動尊がでてきた穴からは清水がわき出し、滝となったという.
トップへ

[星の井戸:千葉県安房郡清澄寺] 70 北尾浩一,"千葉の歴史散歩"
井戸の蓋に三日月と星がきざまれており,ある法師が念じて水がわきだし、明星が水中に写って見えたので,明星井と名付けたという.実際には星は見えないそうだ.
この寺は771年不思議大師(だれじゃこれ?)の創建といわれ、天台宗、日蓮宗、真言宗、そして明治に再び日蓮宗の寺となった.本尊虚空蔵菩薩を安置した大堂などが残る.虚空蔵菩薩は千葉で多く信仰された仏で、明星天子=明星と関係が深い.
[明星杉:埼玉県川越市] 71 北尾浩一,"てんぶんがく"49号,1982
喜多院という寺のそばにあったらしいが、残念ながら近年切り倒されたそうである.
[明星の井戸:埼玉県桶川市] 72 北尾浩一,"てんぶんがく"49号,1982
明星院というところにある.井戸から明星が飛び出したという言い伝えがあるそうだ.
[妙見寺:東京都稲城市百村] 73 箕輪敏行,"月刊天文と気象",1982,地人書館
住職の話によると、これも日本三妙見の1つという.この調子だと日本三十妙見くらいはありそうだ.
天平時代に新羅軍が攻めてきたとき,7日7晩星供の行を行い,満願の日に妙見菩薩が青龍にのって現われたという話が伝わっている.冬至の日に大護摩をたくそうだ.星見の井なども昔はあったらしい.
[星下り松:東京都江戸川区善養寺]74 "東京都の歴史散歩",山川出版
16世紀にできた真言宗の寺で、大きく枝が繁った影向の松があるので知られる。他に星下りの松という
のがあり、空海が虚空蔵菩薩の求聞持法を会得したときに、明星がおりてきた松という。この話は何か
日本全国あっちこっちにありますなあ。
[ストーンサークル的遺跡:東京都町田市田端] 75 "東京都の歴史散歩",川崎天文ハイク他
7×9mの楕円形に石がつまれたもの.周囲に31基の土砿があり、土器等も出土.出土品からみて墓らしいが,縄文中期〜後記の2000年にもわたって使用されたという.あまり天文学的遺跡にはみえない.
.
[鶴が岡八幡宮の北斗堂:神奈川県鎌倉市] 76
北条政子が建立させたそうで、月食や元の来襲の時に北斗法を行なったそうだ.
[28宿碑:神奈川県南足柄市大雄山最乗寺] 77 川崎天文同好会"天文と気象",1974
道了尊とよばれる寺で,1〜28丁目まで,中国の28宿がきざまれた碑がバス通りや山道に点在.しかし1/3ほどは無くなったようで見あたらないそうだ.
[星下りの梅:神奈川県厚木市] 78 北尾浩一,"てんぶんがく"51号,"神奈川県の歴史散歩"
妙純寺、蓮生寺、妙伝寺に1本づつあり、それぞれ日蓮が月に向かって祈ったところ星がおちたという.
星下り伝説がある.妙純寺は明星山妙純寺といい、星の井戸もある.
[星谷寺:神奈川県座間市] 79
上記の妙純寺から東に数kmのところにある.この寺の鐘は日本三大奇鐘の1つといわれる.
トップへ
[下谷戸ストーンサークル:神奈川県伊勢原市三の宮] 80 "神奈川県の歴史散歩",山川出版
原始祭祀あと、住居あととされる.比々多神社のそば.比々多神社は、延喜式内社でトヨクモヌノ命、
酒解神という変わった神を祭っている.この近所からは古墳の副葬品も出土している.
[神奈川県平塚市:宝善院の明星玉] 113 "平塚小誌",昭和27年平塚市発行
東仲町にあり、福生山能満寺という.真言宗.寺宝に明星玉なるものがあったそうだが、戦災で消失.
[調神社(つきじんじゃ):蕨] 126 今井金吾"今昔中山道独案内"日本交通公社
月読宮二十三夜といったらしい。月読といっしょに仏教の勢至菩薩もいっしょに祭られている。神社の入り口にはこま犬ではなく、狛ウサギがおかれている。(1861年の作)うさぎを神の使姫とする習慣からだろうと解説されている。
[星石:山梨県御坂町] 138 "ハレー彗星物語"(長谷川一郎著)
60cmくらいの公民館の庭にある石。北斗七星の他大きな●、三日月のほか、多数の星と思われる穴がほってある。文字で八百蔓神とほってある。
彗星と思われる長い星らしいものがほってあり、長谷川氏によると、1607年のハレー彗星ではないかという。星石はもとは華鳥山の麓の川のそばにあったが、明治以前のあるとき2部落で星石のうばいあいが起こり、それ以来移動されたという。
[寒川神社の神紋:神奈川県] 136 "つぶされた星信仰"
相模の国一宮の寒川神社は、祭神が寒川彦、寒川ヒメといういかにも渡来人系の神社である。この神社の神紋が、三日月と●、★マークが中に入った栗みたいなものなのである。
寒川神社で星が祭られている話はきかない。何だろう?なお、同書は完全な[トンデモ本]であり、星の名が付く神社リストの他に注目すべき記述はみあたらない。
[高良社の月神] 131 "高良玉垂宮神秘書"
筑後の高良神社は、高良玉垂命を祭っているが、同書によると月の神で、[応作天大将軍の再誕、天上の大力士]と説明されている。高良玉垂命は同書によると神宮皇后と夫婦になったとある。
[江戸城のつきが映る池] 142 [七不思議]サイトより
江戸城の七不思議の1つで、月がなくても水面に月が映る池というのがあるらしい。
闇夜でも月が写っているという。
[勝興寺の天からふってきた石:高岡市] 143 [七不思議]サイトより
「勝興寺の七不思議]より。本堂の前庭においてあるという。
日本の星の伝説TOPへ
トップへ