
イエスが生まれたときに現れたとされる不思議な星
“ベツレヘムの星”の正体は?
2009 11/30 更新
クリスマスの季節になると、よく欧米のプラネタリウムでは 新約聖書の マタイ伝、 その第2章にかかれている ベツレヘムの星が、投影のテーマとなっています。 (資料: 1 2 3 4 5)
ここでは、グリフィス天文台の 出版物、The Christmas Star に示された解説をもとに、 ほかの資料などもあわせて、最近の学説をご紹介します。
いまから2千年ほど前の地中海周辺は、ほとんどがローマ帝国の支配下にありました。
紀元前37年には、ローマのあとおしを得て、ヘロデ王がイスラエルを支配するようになり、紀元前8年には、ローマの税制に服することとなり、国勢調査が行われました。
財産の申告は土地のある故郷で行うことになっていたため、身重のマリアをつれたヨセフは、 故郷ベツレヘムにきていました。ここでイエスが生まれるわけです。それがいったい何年何月何日のことなのか、よくわかっていません。
イエスが生まれた年から数える西暦の方法は、紀元525年にローマの聖職者によって採用されたものです。もう、そのころには、イエス誕生の正確な年などわからなくなっていたはずです。
東方からきた博士たち
さて、問題のマタイ伝には、次のような記述があります。
....東方からきた博士たちがエルサレムに着いていった
ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられるのか。
わたしたちは、東のほうでそれを見たので、そのかたを拝みにきました。
....彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、おさなごのいるところまで行き、その上に留まった。
(河出書房<世界の歴史3> 1968 より)
ヘロデ王はこの話を聞き、その後ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子をひとりのこらず殺してしまったということです。ヨセフたちはエジプトに難をのがれて助かりました。
したがって、ヘロデ王の死んだ年がわかれば、それより前にイエスが生まれていたことになります。ローマの年代学者ヨセフス・フラウィウス(紀元37〜95年)によれば、<月食とそのあとの"過越しの祝い"の間>にヘロデ王が死んだことになっています。それは紀元前4年のこととされていましたが、そのころに起こった月食を調べてみましょう。
当時の月食 日付 タイプ 次の過越しの祝い 両者の間(月) 紀元前5年9/15 皆既 紀元前4年4/11 7 紀元前4年3/13 部分 紀元前4年4/11 1 紀元前1年1/9 皆既 紀元前1年4/8 3 紀元前1年12/29 部分 紀元後1年3/29 3 (資料:"The Christmas Star" by John Mosley)
紀元前4年の月食は、食分37%の部分月食であり、当地では午前2時〜4時に起こったもので、あまり注目はされなかったでしょう。また、次の過越しの祝いまで1カ月しかありません。この間に、ヘロデ王は療養の旅にでかけるなど様々なことが起こったはずなのですが、1カ月という期間は短すぎるかもしれません。いっぽう、紀元前1年1/9の皆既月食は午後11時30分〜翌日午前3時に広く中東で見られたはずです。過越しの祝いまで、3カ月間という期間も十分と考えられます。
この月食がそうだとすれば、イエスは紀元前2年〜3年に生まれた可能性がでてきます。
★ 関連ページ ★
Dating the Death of Herod and the Census of Quirinius
The Bimillenary of Christ's Birth: The Astronomical Evidence
フィレンツェの画家ジオット・ディ・ボンドーネ(1267頃〜1337)による「三博士の礼拝」は、 1301年に現れたハレー彗星をモデルにしたといわれています。(サイズ2mx1.85m)
さて、"ベツレヘムの星"の正体ですが、ジオットの絵にかかれているように、彗星ではなかったか、という可能性があります。中国の記録によれば、紀元前12年にハレー彗星が現れています。惑星運動の法則でお馴染みのケプラーは、 星が大爆発し(このことは当時まだ知られていませんでしたが)星が急激に明るくなる 超新星だったのではないかと考えました。 ケプラー自身も1604年、 へびつかい座に超新星を目撃していたからです。
紀元前4世紀と5世紀に彗星、あるいは新星と見られる天体が中国で記録されています。 災いをもたらす前兆とされていた彗星がベツレヘムの星とは考えにくいという指摘もあります。 (資料:1 2)
紀元前2年6月17日世界時18時(現地時間21時) バビロンにおける西北西の空。しし座(Leo)で金星と木星がひとつの星に見えるほど接近していました!
(AVI動画 927KB)
当時の金星・木星の接近を望遠鏡で見た場合のようす
(AVI動画 300KB 縞模様のあるほうが木星。その衛星も周囲に見えます)正確にはバグダッドの位置(北緯33度20分, 東経44度24分)で計算しています。
バビロンはバグダッドの南およそ80kmですが、緯度の変化は0.7度ほどです。
動画も含め、Red Shift3による作図。
SOLEXによる計算では、 17:56頃(世界時)に約0.01度にまで接近していたことがわかります。 そのときバビロンでは、真西から北へ約14度、仰角(地平高度)約14度の方向に、 マイナス4.3等の金星とマイナス1.7等の木星がひとつの星に見えるほど接近して見えたはずです。SOLEXで紀元前10年から紀元後3000年までを 調べた結果、 0.01度以内に金星と木星が接近するのは12回しかなく、太陽から 20度以上離れた方向で接近が起きる例では、5回しかありません。 (計算結果の el という欄が太陽からの離角)
また、バビロンから見て、金星と木星が、肉眼でひとつに見えるほど接近する(角度の1分、0.017度を設定)のは、 紀元前10年から紀元後3000年までの間に33回あり、太陽から 20度以上離れた方向で接近が起きる例は、16回しかありません。 (計算結果)
★ 関連ページ Mutual Planetary Occultations Past and Future
比較的有力視されているのが、このような惑星会合説です。惑星同士が見かけ上接近してみえる現象のことです。イエス誕生のころ の惑星会合には次のようなものがあげられます。西暦(ユリウス暦) 天体名 接近した各距離 @BC.3年 8月12日 木星・金星 0.23゜ A 9月 1日 水星・金星 0.36゜ B 9月14日 木星・レグルス 0.63゜ C 2年 2月17日 木星・レグルス 1.19゜ D 5月 8日 木星・レグルス 1.06゜ E 6月17日 木星・金星 0.04゜ F 8月27日 木星・火星 0.14゜ (資料: Planetarian,Vol.9,No.1,1980)
紀元前3年から2年にかけて、世界を支配する者を象徴していた木星が、つぎつぎに接近現象をおこしています。特に紀元前2年6月17日に起こった木星・金星の接近はひとつの星に見えるほどの異常接近でした。さらに、この年(紀元前2年)の年末には、木星が留(東西方向の動きが止まること)になったことも注目されます。
★ ベツレヘムの星の新説 ★
興味ある新説が発表されました。紀元前6年3月と4月に起こった「月による木星食」がそれではないかというものです。
ベツレヘムの星についての こちらの解説もごらんください。関連リンク集もあります。現トルコのシリア国境沿いにある都市アンタキアは古称をアンティオキアといい、 ローマ帝国第3の大都市でした。ここで作られた貨幣の調査をしているラトゥガズ 大学(ニュージャージー州)の天文学者マイケル・R・モールナーは、紀元後13年 (あるいは14年)に発行されたコインに、紀元後7年4月18日(ユリウス歴)の朝、 おひつじ座で起こった水星と木星の接近と思われる現象が描かれていることを発見しました。
紀元6年には、アンティオキアがユダヤなどを含む一帯の都となりましたが、 それ以来ユダヤの占星術上のシンボルである「おひつじ」がコインに現われるようになりました。
コインには、「おひつじ」がしっぽの方をふりかえり、おしりの上あたりに輝く一つの 星をみているのです。水星は繁栄、協調などをあらわし、木星は支配や権力を表して いました。ただ、この2惑星の最接近(ほとんど1つとして天体にみえていた)は日の出後2時間 後頃であったため、実際に1つの星としてみられたということではありません。
そのほかの記録などからも、当時の占星術師たちは惑星の位置をかなり正確に 計算しており、天文現象が夜間におきるか昼間におきるかということよりも地平線上で (すなわち、その土地の空で)おきるか否かということに関心がもたれていたようです。
キリスト誕生の際に礼拝にきた「東方の博士ら」が占星術師なら、紀元前 6年3月20日の「月齢18時間」の細い月による木星食(おひつじ座でおこった)も 当然予測できたはずです。エルサレムでは日没1分間後、細い月に木星が隠され(空の 明るさのため実際には見えない)、市民薄明終了後5分して木星が出現、この時月の高度 は3/4度。その5分後に月・木星は沈んでいました。また、月から8度ほど上にはユダヤ を支配する星と解釈されていた火星がありました。この現象は薄明時の地平線近くで起こっ ているため、気づかれにくかったでしょうが、あらかじめ予測していた 占星術師たちは地平線を注視していたかもしれません。いきなり地平線上に木星が現われ たのを実際にみたかどうか...重要なのは見えたかどうかではなく、地平線上で起こ ったということなのです。
紀元前6年3月20日木星食のシミュレーション
エルサレムで見た日没直後の西空。細い月から木星が現れる。
画面内時刻は世界時。現地時刻はプラス2時間後。
(860KB AVI動画 REDSHIFT3で作成)
地平線上で、木星の出現が起きたのは、東経約43度以西、北限は34度。
そして、1ケ月後の4月17日にも月による木星食が起きます。エルサレムでは正午過ぎ のそらです。エルサレムから見ると、その時木星は南西の空、つまりベツレヘムのある方向にありました。 博士らがいったいどこから来たのかもはっきりしていませんが、もしメソポタミアなどではなくもっとユダヤ周辺の 土地からきたとすれば、エルサレムまでの旅がひと月程度とすることが可能となります。
(資料 Michael R. Molnar, 'The Coins of Antioch', Sky & Telescope, January, 1992, pp. 37-39)
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